2021-10-20
第3回目は、時系列で『お子さんの様子』や『保護者さんが感じたこと』を伺っていきました。
今回は24名の方にご回答いただきました!ご協力ありがとうございます。
前編では3つの質問の回答内容をまとめていきます。
(Discordネーム掲載可と回答してくださった方は、敬称略にて記載しております)
目次
【質問①】3歳児健診で気になった兆候や違和感はありましたか?あった場合は教えて下さい。
- 服を脱ぎたがらず、そもそも検診ができませんでした(匿名希望a)
- 分からなかったです(atsu/うっちー)
- その時点では特になし(めぐママ)
- 癇癪を起こす頻度が高いこと(匿名希望b)
- 1歳半の時に出ていた単語が3つくらいだったということはありましたが、3歳の時には特に気になった違和感はありませんでした(匿名希望c)
- 歯科検診で大泣き(akiko)
- まずおむつが外れてなかったので検尿を持っていく事ができなかった。聴力視力検査を嫌がったので測定できなかった。身長も測れなかった。体重は私が抱っこして測った。嫌だ嫌だと泣いている子はうちだけで、同じ月齢の他の子との違いに悲しくなった。(たこやき)
- 特に無し(匿名希望d)
- 長男は言葉が遅いと言われたが、その後喋り始めた。次男は得になし。(サッコ)
- 特にありませんでした(セリタエリ しおんy母)
- なし(pepper)
- 特になかった…というか病院的なものが苦手すぎて号泣してしまい、どうしてもな健診だけこなして去ってしまった感じでした(梅子)
- 最初から最後までずーっと泣いていた(はらっぱ)
- 全くなかった(さやさや)
- 健診前に発達検査を受けていました。ごく簡単な会話が成立しない、ジャンプが出来ない等ものすごく不器用、変わった「×」の描き方をするといったようなことに違和感がありました。(匿名希望e)
- なし(マリオネ父)
- なし(さおり)
- 時々視線が合わない・つま先立ち歩行・逆さバイバイ(kao skysky母)
- 特にありません(みーさん)
- なし(たろさん)
- 三項関係が怪しかったです。自分の視点と他者の視点が同じだと感じているようでした。また三歳児健診よりずっと前ですが、息子はズリバイから一気につかまり立ちと歩行に移行しました。いわゆるハイハイと高這いをすっ飛ばしました。(Shinobu Wada)
- 3歳児健診ではありませんでした。でもそれまでの健診では、うちの子だけ動き回っている、泣き喚いている、相談したいけれどこんな状態では相談している余裕なんてない、という気持ちでした。(しましま)
- なかった(Kazue)
【質問②】幼稚園・保育園などの園生活で、どんな困りごとがありましたか?
- 激しい行き渋り(匿名希望a)
- モンテッソーリの園に通い、転居後も、似た自由保育の園に通園していた為、特性が目立たず、当時の事を振り返ってみますと、逆に、本人のよい部分を伸ばして頂いたと思います。特性は見逃されていたんだろうと思いますが、ホントに、のびのびとしながらも、特性以外の部分も自然と底上げされていた位でした。分け隔てなく見てくださった、当時の先生方に感謝しています。(atsu/うっちー)
- 行き渋りはなかったけれど、年少年中時は園庭での一人遊びに夢中になり、いつまでも遊びたがり、先生に抱きかかえられて泣きながら教室に連れていかれる日常。お友達を叩いたり、モノを投げたり、トラブルも多く、クラスで一番くらいに注意されていました。お弁当を皆と一緒の部屋で食べることができず、別室で食べていた時期あり。年少時、運動会は行進を始めすべての行事を拒否して、先生に半ば無理に参加させられていた。年長の時は予想外に全ての行事に参加し、リレーも頑張って走り、先生方や保護者の方達にびっくりされました。加配の先生にはとても懐いて、その方の存在があって通えていた感があります。本人は辛い想い出が多く、自己評価がすごく低くなっていたので、何の未練もなく卒園しました。(めぐママ)
- 行き渋り(匿名希望b)
- 実は保育園ではあまり困りごとがありませんでした。すごく子供をよく見て、対話をしてくれる園で、いきしぶりもほとんどありませんでした!ただ、保育園以外のイレギュラーな場所で癇癪があったり、ルールを守れなかったりという困りごとがあり、あれ他の子とちょっと違うかな、と思っていました。余談ですが、娘が学芸会の演目を決める時にクラスで1人だけどうしても大泥棒の劇をやりたいと言った時も、じっくりと向き合ってくれ、納得するまで待っていてくれるような、本当に素敵な保育園でした。(匿名希望c)
- ずっと本を読んでいた(akiko)
- 3歳の時幼児教室に入ったが、遊びと他の活動との切り替えがうまくできなかったり、みんなと同じ活動が同じタイミングでできないことが多かった。その時の先生から市の心理相談を勧められ、その後定期的に通うことができたので、幼稚園は入園時から加配で先生がついてくれた。(たこやき)
- お友達と遊ぶ時に、自分の物を貸せない。譲れない。自分が作ったルールを強要する。当時は「我が強過ぎる」と思い、毎日叱ってばかりでした。。。(匿名希望d)
- 長男は特になし。次男は、参観日はあまり先生の遊びに参加せずに自分のペースで遊んでたのが気になり、担任に発達相談の事を聞いたが特に言われなかった。体操教室も入ったが、集団行動できずやめた。しかし、小学校への引き継ぎで、幼稚園の先生は加配の対象児でもあり、発達が気になるとの事。小学校へ入学してから私は聞いたので、それで、卒園していたが、幼稚園の先生に様子を改めて聞くと、やはり発達障害の特性に似た行動があったようだ。うちの幼稚園は保護者に積極的に言わない園でした。(サッコ)
- 保育園の2歳時クラスで担任の先生から「順番を待てずに一番にこだわる。一斉指示が通らない。必ず3歳児検診で相談してください」と強めに指摘をされました。私自身は、男の子はこんなものかな?という気持ちと、どうも他のお子さんと違う気がするという違和感の狭間で揺れていたので、保育園の先生から強く言ってもらえて助かりました。その後すぐ療育センターに繋がりました。療育に繋がりながらも、年長の頃には、相手が何気なく言った言葉を悪口と勘違いし「○○くんのうんちうんちうんちー!」と大声で叫んだり、たまたまお友達とぶつかってしまうと必要以上に怒る(パニックを起こす)ことがよくありました。本人は、私が感じる以上に困っていたのだと思います。(セリタエリ しおんy母)
- 毎日登園しぶり、発表会や運動会が大嫌い(pepper)
- 今やっていることをやめる、という切り替えが苦手なので集団行動が常に遅れがち(梅子)
- 年長の秋から登園渋りが始まり、遠足と発表会以外はほとんど通えなかった。(はらっぱ)
- 年少さんでは、幼稚園バスに乗りたがらず、わたしと別れる時は一生のお別れくらい騒いでました。スポーツフェスや運動会、お遊戯会は年少、年中はほとんど参加できませんでした。ようやく年長になり、いろいろなイベントごとに参加できるようになりました。園風が、裸足で伸び伸び好きなことが好きなだけできる環境だったので、すごく本人に合っていました。幼稚園の時に、ペットボトルのキャップを集めることにハマり、いろんなスーパーを探し回ったのはいい思い出です。思い返せば、その頃からこだわりが人並みはずれてるなと思っていました。(さやさや)
- 見通しが持てなかったからか心ここに在らずな様子で何をするにも一番遅く、時間に追われるのを嫌い、思い通りにならないと癇癪を起こしていました。避難訓練を怖がったりも。(匿名希望e)
- 朝の支度に時間がかかる、遅刻する。友達ができないと言っていました(マリオネ父)
- 年少は少し落ち着きがないと言われる程度だった。年中になると、集団行動に入れなくなってきた。(朝のミーティングは、部屋の隅のブックコーナーに寝そべる。体操の時間は、カーテンの中に隠れながらこっそり動きを見たり、後ろをウロウロ走る。フルーツバスケットみたいなレクは、参加せずに椅子を動かすなどの裏方として参加。)年長は、ミーティングは後ろだけれどなんとか輪に入るようになる。就学を見据えて、毎月テーマのある絵を描く時間が出来るが、最初は取り組めず、画用紙の隅にテーマとは関係のない絵を小さく描くのが精一杯だったが、担任の配慮があり、後半はテーマ通りの絵を画用紙に大きく描けるようになった。年少~年長の3年間、運動会と演劇会の練習は後ろから見てるだけで参加せず(完璧主義なため、間違えるのが嫌だった)。けれども総練習からは参加して、本番はそれなりにできていた。(さおり)
- 年少時、言葉で自分の気持ちを伝えられず、お友達に手が出てしまうことが数回ありました。(kao skysky母)
- 登園渋り。初めてのイベントの時に戸惑うことがありました。見通しが立つようにサポートしてもらっていました(みーさん)
- なし(たろさん)
- 入園当初から朝のバスに乗るのを嫌がりました。担任の先生からは「どんなお子さんも夏休み前には落ち着いて来ますよ」と言われましたが、結局一年間続きました。ただ幼稚園に行ってしまえば、それなりにお友達とも関わって遊んでいました。年中に上がる時に父親の転勤に伴い転園した際には、毎朝園庭で行う体操を拒否して遊具の上に逃げていました。転園したばかりでしたし先生やお友達からも比較的温かく見守ってもらい、しばらくしたら皆んなと一緒にできる様になりました。いまだに理由はわかりませんが、転園したタイミングで朝のバスにもすんなり乗るようになりました。(rikato)
- ①モノの管理ができない ②順番を守れない ③指示を聞いていない(ように見える) ④集団行動を嫌う(みんなで一緒に同じことをするより、好きなときに好きなことをしていたい) ⑤好きな友だちへの接触が多く(抱きつきなど)相手が嫌がっていても距離が取れない ⑥口が達者でクラスメイトや先生の反応を気にせず喋りたいときに喋りたいだけ喋ってしまう ⑦席についていられない ⑧姿勢を保持できない(着座したまま上半身をダラーンとする)⑨貧乏ゆすりや手遊びを止められない、などです。12歳の中1になった今、②⑤⑥以外は無くなりましたが、それ以外は当時のままです。ちなみに、54歳の夫も②⑤⑥⑧以外は同じです。(Shinobu Wada)
- 本人の困りごとというよりも、集団に馴染めなかった様子です。我が家では「下駄箱トラップ」と読んでいますが、昇降口で30分佇んでいました。外履きを脱ぎ下駄箱に入れ、上履きを取り出し、上履きに履き替えるという一連の動作が全くできませんでした。理由は恐らく周りの子どもたちの動きが気になって注意力散漫が発動していたんだと思います。同じ理由で、運動会や音楽会などの保護者が参観する行事では、保護者が気になって心ここに在らずで終始ぼんやり、何も手につかないという様子でした。(しましま)
- 保育園に行くとき3歳直前まで泣きながら通っていたこと。母親と離れるのが嫌で、別れ際大泣き。ただ離れるとお友達もたくさんいて、楽しく過ごしていました。重くなってきた泣いている息子を連れていくのが苦行で、もう仕事辞めるしかないか、と本気で思ったら急に泣かないで行けるようになり、仕事を続けられました。4歳のときの運動会は出たくないと主張し、出ませんでした。人前で踊ったりするのが嫌だったみたいです。(Kazue)
【質問③】就学時に大変だったことや、ギャップを感じたことはありましたか?あった場合は教えて下さい。
- 登校渋り。宿題で毎回癇癪。(匿名希望a)
- 学校から帰宅すると、ものすごく疲れていたが、今思えば、本人がめちゃめちゃ頑張っていました。なんでもきっちりとが基本の学校。でも、こんなものかな?と思っていました。(atsu/うっちー)
- 新品のランドセルや筆箱が嬉しくて通うのを楽しみにしていましたが、実際はあまりの規制の多さに初日は勝手に校門から脱出しようとしたと学校から電話がありました。しばらくは毎日の様に担任から電話があり、連絡帳も毎日お詫びやらお願いやらの文章でびっしりでした。(めぐママ)
- 行き渋り。宿題が進まない。仲の良い友達が出来ない。スポーツが苦手。歩かない。(匿名希望b)
- 先生がよかったのか、1年生の時は意外とスムーズに入学できました。(お母さん世代の女性の先生でした)読み書きの習得が遅いかなと感じはじめました。(匿名希望c)
- 入学式欠席からの不登校(akiko)
- 通級が他校だったので、在籍校へ朝待ち合わせて通う子の親(幼稚園のママ友)には「〇曜日は通級だから」と伝えていた。しかしそのママ友が、私と全く面識の無いお母さんにも通級のことを話していたと知って(その時は信頼できる人にしか話してなかったので)ショックだった。確かに内緒にして、とは言わなかったけども…。(たこやき)
- 小学校に知ってる子があまりおらず、今思うととても警戒心が強かった。友達になった子がゲームを持っていた事から「ゲーム欲しい」と言い出して、家族会議を何度もしたのを覚えています。結果iPadを買い、ゲームアプリを入れた。(匿名希望d)
- まず、入学前の学童スタートで今まで、できた事(お弁当開けるのも上手くできなかったり)が出来ない状態。入学式でもソワソワ、教室もソワソワして、入学式に私は発達障害だと確信しました。そこからホント怒涛の日々でした。(サッコ)
- 地域の公立小の支援級に進級しました。入学早々、支援級の隣の席の子と「同じように上手く字が書けない。こんな自分はバカでクソだから死んだほうがいい」と頭を叩く自傷が始まりました。就学前後のギャップは、子ども同士のトラブルへの大人の介入の仕方が違うことでした。保育園では必ず、関わった子ども一人ひとりに事情を聞き、最後に全員で話し合い解決するという丁寧な関わりをしてくださっていました。でも小学校では「叩いた子は謝りたくないみたい」などと、叩かれたのほうが我慢をする空気がありました。先生も忙しいのは重々承知していますが、先生はこんなにも子どもの話を聞かないのかと、ギャップに驚きました。(セリタエリ しおんy母)
- 特になし(pepper)
- 学校も学童も、保育園のように個性を見てくれる感じではなく、平均的まで普通にやってくださいねー!という感じにギャップを受けました。あとはとにかく宿題が大変でした…(梅子)
- 幼稚園が伸び伸び系だったので、登校班で並んで行くこと、学校のルール、給食の匂い、冷たいご飯は食べられない、牛乳は飲めない、発表などは前の日からお腹が痛くなるなどありました。息子の幼稚園の子は発達障害が無くても三年生くらいまでみんな苦しいと聞いたことがあります。(さやさや)
- 就学前には無かった友達とのトラブルが頻発しました。言葉で説明できずに手が出たり、暴言を吐くといった問題行動が続きました。(匿名希望e)
- 注意散漫で、時間割などを書いてこない。同級生と合わない、孤立する(マリオネ父)
- 息子は小学校生活に期待をして入学をしたと思うが、学校での細かい動きについていくことや同じことをやらなければいけないことは大変で辛かったと思う。先生も教室運営や上からの評価などで大変だと思うが、型にはめようという意識の強い先生だと、息子のような児童は苦痛でしかないと感じた。(さおり)
- 幼稚園が自由に遊ばせてくれる園だったので、大半の時間は好きな工作に没頭できる環境でした。小学校に入ったら時間通りに予定をこなさないといけなくなったので、息子にとってはギャップがあり過ぎて負担だったと思います。(kao skysky母)
- 登校渋り(みーさん)
- 何でも管理され、自由がない状態で忙しく子供が辛そうだった。あと学童でいきなり集団でいじめが勃発。(たろさん)
- 1、2年生の頃は、お友達とのトラブルが特に多かった訳でもなく、授業や行事にも積極的に参加している様子だったので、少し集団が苦手な子というくらいの認識でした。いま考えると発達障害の特性だったなと思う事もありますが、その時には私にも知識がなく、その場その場で対応して来たと言う感じで、すっかり忘れてしまっている事も多いと思います。(rikato)
- 幼稚園(スポーツ幼稚園)の指導が大変厳しく、先生も叱るときはキツい人ばかりだったので、むしろ公立校の「緩さ」に親子ともども戸惑いました。 みんな優しい!と息子も驚いていましたが、だんだん「緩すぎて何でも許されてしまうから、逆に困る」ということも言っていました。厳しかったら厳しいで不適応が深刻になったと思うのですが、本人的には「もう少し厳しさがあったら、ぼくでもイヤでも言うことをきくからみんなと同じことができそうなのに(緩いから簡単に逃げ出したくなってしまう)」みたいなことを主張していた時期がありました。(Shinobu Wada)
- 幼稚園までは個別のフォローが行き届いていたため、本人がそこまで困り感や劣等感を感じてたい様子はありませんでした。勿論大変そうな時はありましたが。就学してからの困難は、時間割できっちり決まって動く必要はかられ、とにかく「みんなから遅れてしまう」と子ども自身が感じてしまったことです。学習面も、不注意優位なのでいつの間にか授業がすすんでしまっていて、いつの間にか分からなくなっていることが多く、劣等感を強く感じるようになってしまいました。(しましま)
- はじめての場所になかなか慣れないから、行きたがらないかと思ってましたが意外にも1学期は楽しんで通っていて拍子抜けでした。宿題は『めんどくさいめんどくさい』言ってました。今思えば、読んだり書いたりが大変だったのかなと思います。結局2学期から不登校スタートです(^^)(Kazue)
運営スタッフより
前編は以上です。
こうやって拝見すると、みなさん様々な経緯があったのだなと実感します。
また、当時の困りごとと現在の困りごとが必ずしも共通す訳でもないのだなと思いました。
本人の特性や個性は変わらずありつつ、環境や年齢によって表面化することは変わってきそうですね。
後編では、「学校行きたくない」への対応、思春期に向けての心づもりについてまとめていきます。
引き続きご覧いただけると幸いです!
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