①不登校の運動会
不登校のお子さんの、運動会についてのエピソードをお聞きしたいです。
- 参加したのか、しなかったのか、部分的に参加したのか
- どうして参加/不参加の決断をしたのか・その時、親御さん自身とお子さん自身にどんな葛藤があったのか
- 今思うと、して良かったと思う判断、するべきではなかったと思う判断
があれば教えていただきたいです。
以下の回答がありました。
うちは、学校のルール上では不登校ではなく行き渋りの状況になるのだと思いますが、実質は不登校です。(体育の授業なら見学に行けたり校外学習ならみんなと朝から参加して一緒に行って帰ることができていたので。教室での学習は全くできていません)
現在中1で小学校時代の時のエピソードになります。小学校は小2の秋から4年半実質不登校でした!(中学になれば行きたいと言っていましたが実際は全く登校もできず制服類は全て新品で眠っています)
運動会は見学の形で登校しました。
似たような感覚のお子さんはものすごく多いと思いますが、運動会はトップ3に入るくらい苦手な行事です。
大勢の人に見られながら競技をすることに意味を見いだせず、そもそも注目を集める状況が極めて苦手なため、参加する選択肢は本人にありませんでした。しかし、仲のいい子やきょうだいが出るため、写真撮ってあげてという目的でカメラマンをしてもらいました。
本人ができる役割をさせて行動を引き出せば登校してみんなを見守ることはできました。
最初の頃は随分私にも「子どもの運動会見てみたいなー」という親としての想いはありました。今もなくなってはいませんが、いろんな考え方に触れて知っていくうちに、運動会というシステムもなんかすごく独特な文化だなと思えるようになってきて、運動会出れなくても大人になって運動会することなどないしなーと思うようになりました!
そのお陰で下の子たちの運動会は出来不出来という余計な評価する目線をなくすことができて、純粋にありのままの姿を見てあげられるようになりました!
教室不登校でありながら学校へ行くことは本人にとったら気まずいだろうしやりたいことではないので辛かったと思いますが、今できることはなにかを考えることを諦めずに向き合ってきた経験が、私は大事だと思っています。
運動会に出れたら立派ということではなく、友だちがたくさんの人に囲まれて踊ったりするのを見るのも苦痛に感じていたりするようなので、気持ちの折り合いの付け方を習得するまでの苦労はかなり本人にあったと思います。
苦手なことでも、自分の好きやこれならできるということを携えながら、苦手な中にできることを模索することで、小さな小さな1歩を踏み出せていることが多いです。
うちの場合は子どもが複数居るため、それぞれを尊重した考え方を取り入れるために、いい意味で視野を広げられているかなと思います。
一人っ子さんであれば少し状況が別になるかもしれません。私なら思い切り振り切って、本人がここなら居られるというフリースクールを探して通えるようにしたりしたいなと思ったりもします。
無理に運動会見せなくてもいい環境を作るかもしれません。それは本人に得意や好きで行動を促して意欲を湧かせ、内発的な動機付けをしながら楽しむ気持ちを経験させたいからです。その方がより伸びやすいだろうなと、今オンラインフリースクールをしていて本人の様子をみていてもそう感じます。
中学生になって環境が変わり、うちは行動に移してみようという想いを育むことまでは至って折らず、これは本人の持ってる特性や性格があるので、ただ環境をいくらよくしてたとしても、行けるようになる子とそうはならない子が居ると思うので、一概には言えませんが、やはり本人の自己肯定感のあげられる環境に身を置いてやりたいです。
きょうだいが多いとそれだけにすることは難しいです。
苦手にたいして折り合いつける経験を積むということができたのは、中1になだたいま、気持ちのコントロールが見違えるほどじょうずになってきているので、この点を考えると決して向き合ってきた時間は無駄じゃなかったなど思います。
不参加。幼稚園の頃から運動会や発表会が大嫌いで。不登校になって、なおさら嫌がるので不参加です。
不登校になってからは、運動会も含めた行事ごとには参加していません。本人と話して、参加しないと決めたからです。
新学期が始まってすぐに運動会をする学校だったので、慣れない環境に加えて炎天下での練習も辛かったようです(運動会後、蕁麻疹がでるなど疲れが出ました)。
また、もともと人前で何かをすることが苦手なので、そこもストレスだったようです。
不登校になったことで、本人の苦手なことが徐々にわかってきてよかったなと思っています。行事ごとに出ないことで、特に困ることもありませんでした。
【参加しなかった】
【するべきではなかったと思う判断】
ちょうど五月雨登校が始まった頃に運動会がありました。 本人はみんなと一緒に運動会に出たい気持ちがあって参加すると言っていましたが、 当時の私は行事だけ参加することに疑問を感じていて、「練習(体育の授業)に出ないと運動会で何するのかわからないよ?」と言ってしまいました。
今思えば何もできなかったとしても行きたいと思う気持ちを大事にするべきでした。 後から思い直して、運動会出ようかと話しましたが、時すでに遅し… 結局、練習には行けないから運動会も出ない!と本人が決めて欠席しました😢
不登校になってから1年くらいの時に、自分から「ちょっと学校に行ってみる」と言い出して、昼休み登校を始めたことがあります。
1カ月も続きませんでしたが、ちょうど運動会の練習をしている時期で、練習に1回だけ参加しました。集団からは離れた場所で、私と二人でちょこんと座り、先生が子供たちを指導する様子を眺めていました。
日差しのまぶしさ、飛行機の音にかき消される先生の声。私自身は、子どもたちはこの環境で練習に参加しているんだなぁ、すごいなぁと思いながらみていました。
その時、隣で子どもがどんな気持ちだったのかはわかりません。運動会当日の本番も、先生からは「見学にくる?」とお誘いがありましたが、行きませんでした。
本人は、「ボクは練習を頑張った。だから、それでいい」と総括していて、我が子ながらなんだかすごいなぁと思いました。
足が速かったので、徒競走は出てみたらいいのに、と親としては思ったのですが、「自分の順番が来るまで待つのが苦痛」と言っていました。
登校していた低学年の頃は何なく参加、不登校になってからは、見に行くだけの参加のこともあり、全く行かないこともありました。
親としては、運動会で我が子の写真を撮るという推し活ができないのはやや残念でしたが、無理させるものでもないので割り切っていました。
先生方が善意で「〇〇だけでもどうですか?」と提案してくださることが、申し訳ないですが逆に負担に感じてしまいました。
もちろん参加してません。行くわけないし(# ゚Д゚)と思ってます。
保育園、学校行事で毎年毎年すごく嫌そうな最上位の行事の一つでした。運動会の練習時期からすごい不調で、鬱になって強迫になってコミュニケーションが取れなくなる。母子ともに毎年毎年嫌な思い出しかありません。
もちろん、運動会本番も、何とか出てもうつろな表情で一応なんとかみんなと同じように動いているだけ。何一つ楽しそうじゃなくて、見ている方もここに娘を出場させている意味があるのかと毎回悩んでしまいました。
とにかく人が多く集まって動くことが苦手なので、たとえば「玉入れ」というと人が集まる籠の近くには行けなくてだいぶ遠巻きの人のいないところから球を投げるけど届くわけもなく。それで終わってから「●ちゃんは〇個入ってた。×ちゃんは▽個入ってた。私は1個も入らなかった。頑張っていたのに。一回も入ったことがない…。」と泣いていました。
どの競技でもそんな調子なので、別に運動が苦手とかじゃないのに実力を発揮することもできず、コンプレックスと嫌な思い出が募るばかりです。年長のときの運動下院練習で友達に言われて傷ついたことを小5になった今でもまだ話しています。
また運動会前後で不調になって、その後も数か月その時に受けたダメージを引きずるので、本当につらかったです。小1は参加してボロボロになって、小2は参加しないと本人が決めたのでほっとしたのに、週に1-2回数時間の登校で運動会の練習も一切参加しなかったのに、学校内の運動会に向けた雰囲気だけでやられて、また具合が悪くなって、強迫、不安が悪化しました。
参加しない運動会が終わったら症状がさーっとよくなりました。小3からは完全不登校になったのでノータッチです。
運動会なんてもう一生関わりたくないという気持ちです。うちは一人っ子でよかったなーとおもいます。一人がこんな感じで、もうひとりが普通に運動会楽しめる子だったら、せっかく不登校になっても、きょうだいが運動会にがんばっているようすで不調になっただろうなと思います。それぐらい、運動会の悪影響が大きかったです。
参加しない
元々運動会は好きでないので特に葛藤はなかったです。なお、私はPTAのお手伝いをしていました
②「ママといたいから学校に行きたくない」の対応
「ママといたいから学校に行きたくない」とお子さんが言ってきた時、どのように対応していたか、良かったと思う対応、悪かったと思う対応など、その時のエピソードや感想があればご自由に教えていただきたいです!
以下の回答がありました。
そういうことよくありました!小学校低学年くらいまでですが。 第一子には結構突き放した言い方をしてしまっていました。「ママもお仕事行かないと遊びに行くお金ないからね」というようなことを言ってたりもしました。
知的は無い子なのでぼやかした言い方より現実的な言葉の方が本人に意味は伝わりやすかったのでストレートに話すことが多かったです。 母子登校して教室まで付いていったりしていました。
しかし下の子たちがいたのでいたたまれなくなり、私から「ごめんけど付いていけない」と、送迎のみで先生に託していました。 今となっては頑張って教室まで付き添い続けたら良かったのかなと思います。
もう少し違う姿になっていたかもしれません。先生にうちの子のタイプや関わり方の理解をもっと促すべきだったように思います。(話したからと言って一保護者の意見全てに対応してもらえるはずもないですがね。
集団に入って同じようにやることが公立小学校のルールだと思いますので) 本人からしたら望むようにあまり付き添ったりしてあげられなかった部分もあったと思います。
仕事を外勤の仕事が契約満了をきっかけにフリーランスの在宅ワークに切り替えて仕事するようにしました。それはよかったのか、完全不登校だった小3のころには、1人で留守番も平気になりましたので、その後再び外勤の仕事も再開できるようになりました。
今も在宅ワークを続けているので、むしろ外勤の仕事を増やした方がいい状態になってきたかなと感じています。家だと甘えが強くて、自分を律する場面が少ないことが気になっています。
幼稚園の頃、朝毎日泣いて嫌がりましてが、先生が登園したら楽しく遊んでいるから連れてきてとおっしゃったので、毎朝連れて行っていました。でも、行かない方がよかったのかな? 今も、離れたくないと言うのでずっと小学校不登校です。
【良かったと思う対応】
無理に学校には行かせず、 1年かけて母子の時間を作りました。 たくさんスキンシップとったり、一緒に出かけたり、ゲームしたりを積み重ねるうちに、 少しずつ母子分離できるようになりました。
離れている時間があった方が、ママも元気に息子くんと遊べるんだよ、と説得を試みましたが、全く効きませんでした。 周りからはママが甘やかしていると見られるのが辛かったです。
学校に付き添い登校することは、自分は絶対に嫌だったので(ママと一緒じゃないといけないと思うほどの不安を惹起させる状況なら、そこまでして学校に行かなくてもいいと思っていました。)、学校の予定を書いて、対応可能な状況を書いて(学校を休んだ場合行ける場所)本人に選ばせていました。
結果として放課後デイや、フリースペースが対応可能な時間はそこに行ったり、祖母の家にいく以外行く場所がない日は、母親の職場についてきていました。なかなか今日行く場所を決められなくて、泣いてわめいての修羅場の毎朝を送りました。この頃は毎朝がつらかったです。
職場の理解があったのは助かりました。職場は不登校の子がたくさん来る場所です。私が不登校の親子と面談をしている部屋の隣を借りてYoutubeなどを見て過ごしていましたが、もしかしたら声が聴こえたりしていたのかもしれません。
そのなかで、学校行っていない子や学校で苦労している親子に私が話す言葉や、他の子たちのようすを見聞きして、考えたり感じたりしたことがあったのかもしれないなと思うことがあります。
そんな2年半を過ごして、小3になった春に自ら不登校宣言をしました。
③不登校の子どもの居場所
「不登校のお子さんの居場所」について、Branch以外にお子さんに用意しているところがあれば、どんなところか、どんないいところがあるかなどを、自由に教えていただきたいです!
以下の回答がありました。
Branch以外では、新しく習い事を1つ始めたいと自分で言い出し、探し出して、体験にも参加し、始めることにしました。 自分でやりたいと思ったら始めるので、狭い範囲の興味の世界にハマる物をこの先の進学に向けて探していく必要があるなと感じています
横浜市は、工作や遊びだけ週に2回不登校向けの場所があります。でも、一度見学しただけで拒否。色々興味持ちそうなプログラミングやテニスなど誘いましたが結局無理。 オンラインのニジンアカデミーの短期YouTuber講座参加しましたが、そこも嫌。。。 放課後デイも無理。 母子分離できないケースって、母が本当に苦しいですね。いつまで経っても仕事復帰も無理そうで。
【地元のフリースクール】 〝好きなことから学ぶもの〟を大切にしているフリースクールで、特性のある子どもたちへの理解もあります。 不登校になってからリアルの場でお友達と接することが減っていましたが、ここでは毎日お友達と楽しく遊んだり、勉強したりしています。
フリースクールとフリースペースに通っています。また放課後デイにも行っています。
フリースクールは、民間でやっていて、町が助成をしています。町民は無料で利用ができますが、うちは町外なので有料です。町民は送迎もあって、任意の時間に送迎してくれるので、すごくいいなと思っています。
併設のカフェが提供する昼食も100円で食べられます。バイキング的に好きなものを好きな分だけとって、自分の好きな場所で、好きな人と食べられるというのが、不登校の子にとってはいいと思います。
職員・スタッフさんもみんなとてもやさしく、主催者の方が不登校になるタイプの子のことを本当によくわかって楽しく過ごしやすくしてくれているので、人気過ぎて手狭になっているところが大変なところです。
娘は週に2回程度利用させてもらい、利用時は個室を使わせてもらって、その部屋に娘が大丈夫な先生やおともだちが来てくれて遊んでいます。なにかこれをしよう(調理、理科実験、福祉活動、農業、公園や外の施設に遊びに行くなど)がある日とない日があって、もちろん、参加するもしないも自由。例えば外の施設に行くときも、行きたくなければ誰かひとりスタッフが残ってくれて対応してくれます。
本人がこういうことを心配している、こういうことがいやだったということをお願いすると、本当にきめ細やかに対応してもらえます。人数も多いのによくこんなに細やかにというぐらい対応してくれます。
本当に安心して預けられる場所です。 もう一つのフリースペースのほうは、住んでいる市町村と民間で官民協同という形で運営しているところです。主催の方は信念が強い方です。
市が場所代を提供してくれていて、スタッフは本当にわずかな金額の有料ボランティアでやっていて(退職教員と、大学生が多い。それ以外の人もいる)、利用料はなんとゼロ円です。空いている教員住宅を使わせてもらっているので、古いのが、子どもにとってはちょっと嫌なところですが、しょうがないです。
中核市の市内からわらわら集まってきているので、人口密度も高いです。にもかかわらず、子どもたちがこれているのは、一人ひとりが尊重されて、皆自由に好きなように過ごせる場所だからかと思います。
体を動かしたい子、ゲームをしたい子、モノづくりをしたい子、おしゃべりしたい子などそれぞれに思い思いの活動をしています。ちょっと暴れちゃう子とか着て大変な時もありましたが、スタッフが親身に関わって、だんだん落ち着いてすごせるようになっていく姿を、娘も横目で見ていました。
いろんなタイプの子がいて、娘に会う子はあんまりいないけれども、先生たちへの信頼感と、そこそこ遊べる子がいるので小1からずっと通っています。やっているのが週に2回午後だけというのがちょっと物足りないです。
どちらも共通しているのは、注意しない、何をしても怒られない、自分だけじゃなく他の子が怒られているのも見ることがほとんどない(たまに、前述のすごい暴れちゃう子には、怒っていることもあったりして、そうすると、娘はすごく気になってしまっていたということもありましたが、そういうことは本当にたま。放課後デイに比べるとずっと怒られる率が低いです。フリスクは許容幅がおおきいです。)、何をしていても自由、遊びに大人が付き合ってくれる、こどもの言動を面白がってくれる、友だちになれそうな子同士を橋渡し・おぜん立てをしてくれる、本人の感じ方を徹底的に尊重してくれる、自分で言えないとかいう気持ちを当然と思ってサポートしてくれる(支援級や放課後デイでは、自分で言わせようとさせられる圧がかかる)、学校の愚痴が言える、学校に行っていない子がたくさんいる・・・というのが、本人が行きやすい場所になっている理由かなと思います。
④再び不登校になったとき
不登校状態から登校するようになり、再び不登校に戻った経験がある方に質問です。
- 再び不登校になった理由はなんだったか?
- 再び不登校になった時、どのように対応したか
- またその時の、良かったと思う対応、悪かったと思う対応
上記などの、【再び不登校になったときのエピソード】を伺いたいです!
以下の回答がありました。
家族が無理して通わせたこと、環境が合わなかったこと
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