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質問箱まとめ㊽【行き渋り、居場所、学校の反応など】

保護者さんへの質問箱シリーズ。
ご回答いただいた方、ご協力ありがとうございます。

第48回目では、以下の質問と回答をまとめていきます。

目次

①(思い出したくないことであれば、スルーしてください)お子さんの学校行き渋り時の様子をその際の学年と共に教えてください。

  • 上の子は小1の時で、行き渋る日が続いた後、私が普通に通わせるのを諦めた日の出来事ですが、教室まで付き添って私は帰ったものの、直後に教室から脱走して通学路で先生、私、子供で30分くらい行く行かないですったもんだする、ということがありました。
    下の子は小2で、朝起き上がれず行きたくない、と頑張って涙を出して泣き落とししようとする日が続くような行き渋りでした。
  • 保育園の頃から行き渋りがありました。わたしもその保育園は息子に合わなそうだなと入園時から思っていたので、コロナでわたしがリモート勤務できるようになった年中で本人に合いそうな幼稚園に転園したところ次第に慣れて行き渋りはなくなりました。小学校に入学して最初はやる気に満ち溢れて頑張っていましたが割とすぐにまた行き渋るようになり、色々試行錯誤してみましたがどうにも無理そうだったので1年生の3学期が始まってすぐくらいからお休みすることにしました。行き渋り時の様子は、行く気はあるようでしたがいざ家を出るタイミングになると行けない、といったことが多かったです。
  • そもそもが2歳児で保育園に入園したときから、人が変わったようにストレス症状が強く出て、この子は集団が苦手な子だと思いました。保育園時代も週に数回休むなどして調整して、年中、年長頃はだいぶ慣れてきていましたが、次は就学前相談で、支援級に体験入学した時に、支援級の先生が、支援級の他のお子さんに厳しく接する態度を見て震え上がり、翌日から保育園卒園まで3か月間間完全に不登園になりました。小学校はその後のリカバリー対応で、ものすごく本人に寄り添った対応をしてくれたので、なんとか小1入学後、1年程度は週数日は登校して一通りの学校行事にもそれなりに参加していました。ですが徐々に登校日数、登校時間が減っていきました。2年生は支援級に仲の良い友達ができたので、その子と会えることだけが目的で週に数回数時間だけ登校していました。学校は、人が多いこと(原級はすぐに行かなくなりました)、先生が他児を注意すること(学校の先生としてはおそらくいちばんやさしいレベルの先生の支援級でしたが、それでも…。他児がつまらない学校のローカルルールの下で理不尽に怒られるていること自体が理不尽に感じてしまう)や、九九の〇秒以内にいうように言えるようになる競い合いのような場面、評価されること、時間が決められていつもあせらされること、自由な時間がほとんどないこと、常に緊張感を感じて疲れてしまうこと、他児に学校を休みがちなのことを責められることなどが、つらかったようです。書字障害傾向もあり、字がうまく書けないことのコンプレックスも強めました。週に2日数時間程度の登校でも、学校に行っている期間は、家でもずっとイライラして、変なこだわり症状・不安症状がひどい時期もあり、毎晩夜は悪夢を見ていました。特に行事がある時期は、行事には練習もまったくでないのにもかかわらず、不調になり行事が終わってから1か月ぐらい不調をひきずりました。長期休みになると別人のように穏やかに明るくなり、何かをしたいやる気がわいてくるので、これはもうどうやって学校をやめていくかだと、親としては模索していました。
  • 娘は小4の4月、始業式の翌日から行き渋り。6月中旬から完全不登校。息子は小1の1学期から少しずつ行き渋りが見られ、2学期から不登校、放課後登校中。
  • 小1の6月ごろです。最初は風邪っぽい感じや腹痛を訴えていました。ちょっと調子が悪いのかな?くらいに思っていたところ、お腹が辛いと泣くようになっておかしいなと思いました。
  • 小学校一年生 入学式とその翌週月曜日は普通に登校、翌日火曜「パワーがないから休む」と言われ、続けて数日休み金曜は普通に登校、
    翌週から完全不登校になりました。
  • 小1、入学後3日くらいで行きたくないと泣き、門で引き返しました。
  • 小1、入学時から行き渋りがありました。夏休み前まではたまに休みながら、なんとか全日通っていましたが、毎日学校で頭痛がして保健室に行き1時間だけ滞在して教室に戻るということを繰り返してました。
    休み時間は友達と楽しく仲良く遊べていました。

    夏休み明けから全日は難しくなり、不眠、寝付けない、身体が飛び上がるチック、頭痛が悪化していきました。
    校長の提案もあり、毎日1〜2時間だけ登校してました。友達から『なんですぐ帰るの?』『今日は何時に帰るの?』という1年生らしい純粋な質問が辛くなって行き、ズルいと思われちゃうと引きこもりがちになりました。
    主治医には頭痛でも連れて行って!と言われ、各方面からはそれは違うと教えていただき悩みました。

    冬休み明けには2次障害が親子で耐えられず、学校には行かなくても良いと母が判断して休ませました。
  • 小学4年生の1月。部活のある日は、朝、なかなか起きて来なくなった。そのうちごはんを食べる、着替える、ランドセルを背負うなど、一連の準備行動をせかさないとやらないようになり、2月には、せかしてもやらないようになった。準備をするよう厳しく言うと泣いてうずくまるように。車に乗せて学校まで連れて行ったことも何度かあったが、家を出ることも泣いて拒否するようになった。行き渋りは、最初は部活のある日だったが、ない日も行かなくなった。
  • 5年生 宿泊を伴う林間学校の直後
  • HSCだったので、幼稚園の頃から行き渋りありました。ら
  • 小1の入学式翌日から登校渋りがあり母子登校を1ヶ月(親は教室の後ろにいる)。小2の9/2に本人が「明日行くから今日休んじゃダメ?」と聞いてきて、初めて欠席しその後、徐々に不登校に。小1の時は、嫌々しながら少し遅刻して登校するのですが、自己紹介や授業で先生がクラス全体に声を掛けると一番に手を挙げて答える姿に息子らしさを感じつつも直前までの渋る態度とのギャップに違和感を感じていました。教室での様子を見てて小1なのでこのまま慣れれば大丈夫かな?と思っていました。ただ授業中に一番前の席で突っ伏して寝てしまう事が何度かあったので今思うと相当疲れる環境だったのだと思います。もしくは暇だったのかも、本人がそのような事を不登校になってから言った事があります。
    小2の2学期は、週休3日のペースで登校。休んだ次の日は渋ることなく登校していましたが、冬休み前に友達とのトラブルをキッカケにお休みが続くようになりました。3学期に何度か母子登校をしましたが、教室での息子の表情をみて無理に登校させる意味がないように感じ登校刺激はやめました。
  • 2年生の冬、学級閉鎖明けから、行きたくないと朝渋り始めました。
  • コロナ禍の小6のゴールデンウィーク明けに腹痛にて朝トイレから出てこれなくなって、学校をお休みしました。翌日以降も同じでした。
  • 小2

②(思い出したくないことであれば、スルーしてください)お子さんが学校行き渋りになった際、どんなことに困りましたか?

  • 母子登校。小学校には普通に通える児童以外の居場所はなかったです。
  • わたしも小学校がすごく苦手でしたが他に選択肢もない中で心を殺して通っていたので、子どもが行き渋る気持ちにすごく共感してしまう面があり、でも親として学校に楽しく通えるようにしてあげないといけないという自分の思い込みもあり、気持ちの葛藤がすごく大きかったです。理想では子どもを勇気づけてあげる存在でいたいのに、実際は自分の不安を子どもにぶつけてしまっている自分に自己嫌悪の気持ちが強く辛かったな、と振り返ってみて思います。
  • 共働きなので、学校の代わりに行く場所を探すことが大変でした。ファミサポさんも利用しましたが、合わない人が多くて続きません。適応指導教室も雰囲気が合わず。近くにあるフリースクール等は時間帯や利用できる曜日が限られていました。放課後デイは学校に行った日しか利用できません。母親の職場についてきたり、半日程度は留守番したりしていましたが、それをずっと続けるというのも難しく…。遠方で利用できるフリースクールが見つかったことで、完全に学校から離れられました。
  • 仕事量を減らさざるを得なくなった。自宅で仕事をしようにも、気持ちが落ち込み集中できなくなった。春まで続けていた運動(ウォーキング)に対して無気力になり、体に不調を感じるようになった。
  • 一番は仕事への影響です。フリーランスで仕事をしているのですが、毎朝付き添い登校をして、教室に入る入らないで1時間ぐらいかかったり、時には癇癪を起こして家にUターン。会議を欠席せざるを得ないといったことも起こり、「不登校になったら仕事がまともにできない、どうしよう」という焦りが大きかったです。プラス、給食もないので子どもの食事を用意して、勉強もさせて、、そこまでできるだろうかという不安に押し潰されそうでした。
  • 在宅ですが仕事をしていたので仕事時間がなくなってしまい困りました。また下の子の送迎の間の留守番もお互い不安でした。低学年なので1人でいられないということやメンタルが不安定になっていたのでいつも以上に甘えん坊になっていたので放置することができませんでした。
  • 原因が何かわからないので対処法もわからず
    困りました。
    自分(母親)の予定が全てキャンセルになりました。
    母子分離不安があり外出が難しくなりました。
  • 最初夫は毎日行かせようとしていて、娘は泣いて、辛そうでした
  • 職員室隣にある教室に入れず毎日廊下で親子で困っているのに、学校中の教員誰も声をかけてくれず、校長も挨拶もせず素通り(こちらから挨拶した時だけ挨拶あり)でした。
    このことが象徴しているように、難しいならもう学校休んだら?という対応が学校全体から伝わりました。
    実際にもうフリースクールなどは?など提案されて、どうにか登校できるように工夫はしていただけませんでした。

    上の子のクラスで手が出てしまう男の子のところには毎朝、校長が声をかけに来てると聞いていたので、静かに困っている子には声もかけてくれないのだと悲しかったです。

    冬、給食を廊下で食べたのですが、上着も着れず凍えながら食べた悲しい情景は忘れないと思います。校長はその様子をチラッと見ても素通りでした。
  • 行って欲しい、行くかもと思い、説得したり、待ったりするには、仕事を休むしかなかった。休むのか、行くのか、毎日、はっきりせず、仕事に迷惑をかけた。幸い休み安い時期ではあったが、何日も休むわけにもいかず、こどもを一人でおいていくことになった。
  • 相談室への送迎や、病院への送迎、本人が家に居るため、仕事を抜けたり親のどちらかが在宅勤務になるよう調整するのが大変でした。また習い事もいけなくなったため、いつ辞めさせれば良いか悩み、結果としてかなりお金を払うことになったのが辛かったです。
  • 上も下も、学校への付き添い、先生、校長との話し合い
  • 共働きなので仕事の調整に困りました。子どもも一人で家にいるのは無理といい、親も一人にさせるのは心配で勤め先との調整が大変でした。
  • 共働きなので、一人で家に置いておかねばならないのが心配でした。朝登校させようとして、お互いしんどかったです。
  • 先生とのやりとりの負担が大きかったです。毎朝8:10(時間指定)のお休み電話連絡、登校を促すように先生から親に説得するように言われた点(先生からのマウントがキツい)、スクールカウンセラーを依頼したが、手続き等すぐには切り替えられないという規則やできたけど、登校できないのに登校しないとカウンセリングできないという矛盾点。生存確認が必要とのことで定期的な電話が来る業務対応。教育委員会にお願いしても校長が動かず。カウンセラーと先生からの定期な電話が2重に発生。誰の為の学校なのか、先生との毎日のやりとりなのか分からなくなる。半年程続き、妻がそのやりとりにまいってしまい、一時期情緒不安定となる。
  • 母子登校することになり、自分の時間はなくなりました。子どもの困り感を目の当たりにし、自分の子の特性と学校の人手不足に悩みました。

③学校に行っていなかったり、発達障害のお子さんには居場所が見つかりづらいとよく聞きます。どんなことが原因で見つかりづらいと思いますか?

  • 小学校の特に低学年で不登校になってる子供の数が少ないので地域で繋がりを持ちにくいところ。かと言ってオンラインで繋がるには本人が幼すぎて難しかったり、親も子供が離してくれなかったり見守らなければいけない年齢であったりで、出かけて居場所を探すということがしにくいというのもあると思います。
  • 公立小学校以外の選択肢が少なく、親の負担や費用も大きいため。
  • 学校が苦手なタイプ、発達障害特性があるお子さんは、やはり人や場所の許容度が低く、安全と思える、楽しいと思えることが、お子さんとフィットしなければ通えないというのがあります。にもかかわらず選択肢になる場所自体がとても少ないです。フリースクールの運営はお金がかかり、利用料を高く設定するか、ボランティアに頼るかみたいな状況なので、フリースクール自体がなかなか増えないと思います。また親が送り迎えできるかなどの問題もあるかもしれません。公営で設置されている適応指導教室のような場所は、学校自体が苦手なタイプの子は、しょせん学校文化が反映されているのでやはり合わないと感じてしまうようです。学校の中に設置されているような部屋では、学校の呪縛にさらされて意味がないです。すでに学校で傷ついて、トラウマが深くなっているお子さんの場合、新しい場所・人をよりこわいと感じやすかったり、また学校にいけないことに罪悪感を感じさせられているような場合は、他の居場所を提案してもその罪悪感から拒否することも多いように思います。
  • まだまだ社会全体の中でマイノリティだから。というか、マイノリティだと思われているから?
  • ASDの息子は、学校での集団行動やクラスメイトとの関わりによるストレスがMAXになっていました。また聴覚過敏もあるので、教室や廊下のザワザワにも耐えられなくなったようでした。とにかく誰とも関わりたくない、ママと2人で居たいという状態の子どもにとって、別の新しい居場所に飛び込む勇気は計り知れません。本人が居場所を求めていない段階で外に連れ出すのは至難の業です…。
    それから、発達障害を持つ子どもの育児&行き渋りや不登校への対応で、保護者自身もすでに疲弊しきっていることが多いのではないかと思います。居場所を探してあちこちあたってみるというアクションにかけるエネルギーが、まずない。ボロボロなんです。よさそうな居場所が見つかったとしても、先のことをあれこれ想像して、腰が重くなってしまったりもあるかも知れません。
  • 情報がまとまっていないこと。ネット情報が意外になかったり探しづらかったりもすると思います。また地域差もかなり大きいと感じます。
  • 診断を受けていないと行ける場所が少ない
    低学年向けの場所が少ない(市の施設はそうでした)
    引きこもりに対応したものが少ない(まず家から出られないので、行けない)
    ブランチのように、好きなことで繋がれる場所ではなく、学校の代わりに勉強させる場所みたいなところが多い気がする。
    勉強の遅れが気になる人にはいいと思うが、それよりも安心して集える場所を探しているこどもには、向いていない。
    フリースクールは、あるにはあるけど思想が強いところ(自然が一番!みたいなところ)だと
    合わないしなーと、あきらめたり、
    特に地方は良いところもあるけど、選択肢が少ない。
    学校が全く情報を持っていない
    持って無いならば、持っているところへ繋いでほしい。
  • フリースクールや居場所が記載された情報が少ない。

    区の相談指導教室の利用は高学年以上からであった。(区議さんの働きで今年度から低学年も利用可能になるも、自学習出来る児童が前提)

    区内に児童館がない。

    立地にもよりますが、フリースクールは内容に対して高額だと感じることが多い。
  • フリースクール等が少ないという環境面もありますが、社会的な通念が、子どもの居場所として学校一択になっていることも大きいと思います。
    学校が合わないからこちらを試そう、と気楽に選べる社会ではないため、本人の意欲がかなり低下してしまうことも、居場所探しの難しさだと感じます。
  • フリースクールが近くにない。遠いと通学する手段がない。相談体制が手薄で、スクールカウンセラーも精神科、小児科も数週間もしくは1ヶ月以上先まで予約が取れない。
  • 大勢の子どもがうるさくしているところが苦手だったり、自分のペースで過ごせないと耐えられなかったりするため、やはり集団行動を強制される場所は向かないと思いました。
  • そもそも不登校になるのは、外が怖い、人が怖い、自分が自分のままで受け入れられるか?という思いがあるように思います。
    ので、そもそも居場所を作るのが難しい。
  • ・住んでいるエリアに居場所がない
    ・居場所が見つかっても移動が負担になることがある
    ・低学年の居場所が特にない
    ・場所だけでなくメンバーも重要だったりする
    ・嫌な子が一人いるとそこには行きたくないとなる
    ・キレイな場所を好む
  • ・周りの子供たちが興味を持っていることに興味を持ちにくいため。
    ・適切なコミュニケーションが難しく、他人と良好な関係が築きにくいため。(冗談を真に受けてしまう、暗黙の了解の部分を理解できない、相手の気持ちに気づきにくい、会話の流れに乗れない、など。表出の苦手さと認知の問題?)
    ・また、そのことについて本人の苦手意識もあり、人と関わることを避けるようになっているのでは、と思います。
  • 本人が一人で通える場所にない、料金が高い、本人が新しい場所に行くことを嫌がる
  • 友達と話したいが、自分から他の子になかなか話かけられない点、話かけても返事がないや話す人がいないフリースクールだと、孤独でつまらない。楽しみが無いと外出しない点、テニススクールやスイミングは行っていたが、かけっこや多数の子供と一緒に体を動かして遊ぶのが苦手で、最初鬼ごっこなどの野外で体を動かすフリースクールに行っていたが、子供がどんどん増えてきて、先生が忙しくなり、各子供へのコミュニケーションをとってもらえなくなり、最終的には鬼ごっこをやりたくないとなり、フリースクールも行けなくなった。体を動かしたい子には良さそうだったが。
  • 自己肯定感が下がると、外に出たくなくなる、外が怖くなる、家の中の守られた状態で好きな事し安住してしまう。居場所が家だけになりがちになるかと思います。運動面、対人面での不器用さや感覚過敏があると、他の事に対する意欲関心が薄れて、同じ事を家の中で繰り返してしまう。他の子に対する関心も薄れてしまう。内向的になりがちかと思います。

④学校を休む要因となったこと(例えばいじめだったり、身体の不調などについて)を最初に学校側に相談した際は、どのような反応でしたでしょうか?

  • 親身になってくれてる風ではありましたが、実際は保身が1番なんだろうなと感じられました。
  • 支援学級の体験入学を設定された時点で、不安が強い子なので、少人数で楽しい雰囲気で場になれるところからお願いしたいというのをお伝えしましたが、「みんな同じやり方でやっているので大丈夫です。」というお返事で、しょうがなくいわれたとおりの体験入学をしたら案の定、普通の支援級の授業のある日だったので先生が素で他児に厳しく接する姿を目の当たりにしてしまい、「学校は怖い」と思ってしまいました。その状況をお伝えして、入学前からもう学校には1日もいけないかもしれないと伝えたら、その後は手のひら返したように、娘に合わせてくれるようになりました。すごく特別扱いをされたと感じています。(親が小児科医師だったから特別扱いをされたのだと思っています。このことは匿名でも外には書かないでください。ありがたいですが、他の子にはそんなに親切にしないくせにと、冷ややかな気持ちでいました。)
  • なんとか登校できるようにと色々提案してくれました。しかし、娘にとっては大人たちからの提案=圧に感じてしまい、ますます引きこもるようになってしまいました。
  • 毎朝付き添い登校をしていたので、子どもの行き渋り(教室への入り渋り)の様子は、担任の先生も見ていて知っています。よく立ち話で相談していましたが、「教室に入ってしまえば、大丈夫なんですよ(だから安心して明日も連れてきてくださいね)」「今日はこんな風に頑張ってました、成長してますよ!(だから明日も連れて来てくださいね)」こんな感じの繰り返しでした。とても感じのよい明るい先生でしたが、私は勝手にプレッシャーを感じてしまい、無理をして付き添い登校を続けているようなところがありました。
  • 無理に来させようとする感じではなかったですが、放課後登校を勧められたり好きな授業だけでも…と少しでも学校との関わりを持つようにという対応でした。
  • 我が家の場合、学校側には要因は特にないと思われます。
    原因がわからず、先生たちも一緒に「なんででしょうねぇ」と考えてくれました。笑
  • 先生がこわいのと、子どもたちの騒がしさが辛いと伝えましたが、学校側がそれを否定したりはしなかった気がします。
  • 登校渋りの児童が沢山いて、先生方も忙しく、担任にはもうこれ以上の対応は難しいと言われました。母が毎日付き添い、こちらから何かお願いしたり、要望したことはほとんどなかったのですが、もうこれ以上何も出来ないと言われた感じがしてショックでした。

    近隣他校はオンライン授業や別室登校、休める部屋などが用意されてると聞き、学校の余裕(部屋や教員数)や校長先生のお考えによりだいぶ差があると痛感しました。
  • おそらく部活が嫌で行かなくなったと伝えたので、部活は休んでも学校は来て欲しいと言われた。しばらくすると、一部の時間だけでも来られないかと言われた。母と一度、遅れて行ったがそれ以降、行けなかった。
  • 本人の希望通り休ませるよう助言いただきました。
  • 担任、学年主任,副校長,校長、スクールカウンセラー、都内の相談室、弁護士からまた話し合いをしました。
    全面的に学校側の不手際,いじめをおこなった相手側が悪いと言うことで話は終わりました。
    だとしても、傷ついた心はすぐには治りません。
  • 担任は、「普通、困り感分かるんですけど息子さんについては困り感が分からないんですよね〜」との反応でした。また「お家が居心地良すぎるんですかね?(親に対して)」「そろそろ休憩は終わりにして学校においで!(子どもに対して)」などの言葉もありました。お休みが続くきっかけは、お友達とのトラブルでしたが、それについて相談した時も「息子さんの言っていることは本当だと思います。見たわけではないけど実際あったんだと思います。相手の子も認めています。相手の子が他人を傷つける言動をしてしまう子で怒られ慣れている。成長を待つしかない」との話で学校としてはどうしようもない。子どもが悪いみたいな言い方や怒られ慣れてて言うことを聞かないみたいな考え方にモヤっとしました。子供の言動には目的があると思うので、そういう子だからで終わりにせず、何でそういう言動になるのかな?ともう少し根っこの部分を先生方には見て考えて欲しいなと思いました。
  • 親身に聞いてくださいました
  • 日常的に授業中に騒いだり、暴れたりする子がクラスに2人いて、先生がみんなの前でキレてしまう為、教室の雰囲気が最悪。先生が怒鳴ると、ウチの子供が自分が怒られてしまうと錯覚してしまう。ただでさえ、コロナ禍で静かな授業やマスクや黙食でみんな色々我慢している状態なのに。個別に呼び出して指導して欲しかった。お昼休みは本を読むのが好きなのに、学校の方針で小6から、みんなと外で遊んでこいと先生に言われて、外で一人ですみっこで休憩し、休み時間に孤独をより実感してしまう。記憶力が良い為、嫌な出来事を一通り覚えていてフラッシュバックのような感じになり、授業中お腹が痛くなり、トイレに行きたいと言えない教室環境で苦しむ。休み時間にトイレに行くと、授業が始まっても出られない。下校中もお腹が痛くなるようになり、お漏らししてしまうことが何度か発生し、子供が落ち込んでしまう。原因について上記のことがあったことを先生と三者面談して相談したが、先生はその子の親にちゃんとお願いしているけど、変わらないんですよ!と逆ギレされ、その子には直接何もされていないでしょ?何が嫌なの?とウチの子供相手に攻めたててきた。頑張って宿題して持って行ったが、学校来ないから答え分からないでしょ!と言うしまつ。また褒めることを一切しない非常に怖い先生だった。先生も大変なのは分かりましたが。
  • 通常級では、通級や支援員で対応してもらえました。支援級では、感覚過敏や対人恐怖(対生徒)に関しての理解があり、工夫ある対応をしてもらえました。

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