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質問箱まとめ⑨前編【読み書き、不登校育児エピソード】

保護者さんへの質問箱シリーズ。
今回は13名の方にご回答いただきました!ご協力ありがとうございます。
(Discordネーム掲載可と回答してくださった方は、敬称略にて記載します)

第9回目の前編では、以下の質問と回答をまとめていきます。

目次

【質問①】 わが子の読み書きが「人よりもしんどそうかも?」と思ったきっかけや場面があれば教えてください。

  • 保育園の年長時、「ひらがな五十音を書く」「日記を書く」活動がありました。先生からは「一生懸命、とても丁寧に書いています」と言われ、頑張り屋だなぁと思っていました。園に貼り出された息子の文字を見ても、書字の苦手さがあるとは思えないくらい、違和感はありませんでした。
    一方で、通っていた療育センターの作業療法士さんからは「ボディイメージが弱いので、鉛筆で字を書くのはかなりしんどいはず。小学校ではホワイトボードで大きく字を書く練習をしてから鉛筆を使い始めたほうがいい」と言われていました。
    実際入学すると、「隣の席の〇〇くんと同じような字が書けない!こんな自分はバカでダメなヤツだ!」と頭を叩き始め、その時に初めて息子の書字の苦手さを認識しました。本人はきっと、1年近く前から書字がしんどかったのだと思います。自分の辛さを認識して言葉にできるようになるには、時間がかかるのだと知りました。(せりたえり)
  • 息子は書字が苦手なのですが、自分の書いた字に納得がいかず何度も消して紙が破れて癇癪、夏休みのプリント1枚を終わらせるのに1時間かかる、まだ学校に行っていたときは連絡帳を書き切れず昼休みを潰して書く、など。
    もっと早く気づいて、がんばらせなければよかったなあと今では思います。(梅子)
  • 漢字など読むのは得意だが、書くのは苦手。保育園や学校に入学してから書く場面が増え、書く事に困難な場面が増えた事がきっかけ。
  • 入学後、宿題をやるのがあまりにも難儀に見えたため。漢字の書き取り等の反復が辛そうです。普段のノートや板書も非常に読みづらいです。
  • 漢字の書き練習で、最初から書き順を伝えてもその通りに出来ないことや小学2年の後半は練習すら嫌がるようになり、次第に拒否が強くなったため。
  • 字を書くがうまくならず、こちらが読むことが不可能。元々手先は不器用なので、そうかなとは思っていた。
  • 漢字ドリルを嫌がった
  • 音読を嫌がる。短い文なら読もうとするが、長い文には意欲が出ない様子。
    漢字ドリルでふりがなを書くときに「めんどくさいー」となり、書こうとしない。読めればいいかと思い、声に出して読んでもらって、読めているか確認している。
  • 同じ字の同じ部分(トメ、ハライ)を何度指摘しても直さない。綺麗な字を書こうという意識がない。
  • 5歳時、WISCのテスト時に、鉛筆の持ち方、使い方が大変そう、将来、書字障害の診断がつく可能性があると言われた。小学校入学後、ひらがなプリントを嫌がり、鉛筆を持ちたがらなくなり、字を書かなくなった。それ以降、指先を使う作業、ボタンをとめる、ハサミを使う、箸を使うなども嫌がるようになった。(いるか)
  • 三年生の頃から漢字を象形文字のように書くようになり、覚えれないのか面倒くさいのか漢字に対して拒否反応のようなものが起こり始めました。漢字の宿題を始めると、イライラしてきてう゛~っ、あ゛~っと恐竜の咆哮のような感じで吠えるので、毎日の宿題が本当に辛かったです。
  • 頭の中のイメージと、実際書いた文字や絵が違うとイライラしています。『俺は絵が下手だから』とよく言っています。(kacobe)

【質問②】 不登校のお子さんの育児で泣きそうになった経験はありますか?エピソードを教えてください。

  • いっぱいありますが笑、そのうちの一つ。
    息子が不登校なりたて、小1の5〜7月頃。学校であった嫌なことを思い出して、夜中に泣きわめく夜驚がほぼ毎晩ありました。息子は家に居るのも辛くなり、祖父母宅に泊まるようになりました。家に戻るのは土曜日の夕方〜日曜日だけ。月曜日の朝、息子を祖母に託して出勤していました。当時保育園の年長だった娘とはのんびり過ごせて良かったのですが、あの時期のことは、今思い出しても切なくなります。
    不登校になって学校から離れられ、親がそれを受け入れていても、子ども自身の傷が癒えるのには時間がかかるんですね。かかる時間にも、個人差がある。
    そういう意味でも、自宅以外の居場所は必要かもしれません。息子の場合は祖父母宅が、自宅以外の避難場所になっていました。当の息子は「あの頃の俺、すぐキレてヤバかった笑」と振り返っています。(せりたえり)
  • 行かないと決めてからはずいぶん楽になりましたが、行き渋りがあり、行く行かないを毎日やっていた時期が最も辛かったです。私も行ってほしいオーラをすごく出してしまっていて、息子が「ごめんなさい、おれの頭がバカだから。自分なんていなくていい。」と言っていた時は本当に辛かったです… 泣きそうになったというか親子で完全に号泣してますね…(梅子)
  • 大変さがたくさんありすぎて、記憶から消している?部分もありますが、幼少期の、こだわりやかんしゃく、ですかね。なぜそうなるのか、理解できず、対応に非常に困りました。普通の育児だけでも大変なのに、プラスの大変さで、心身共に疲弊した日々でした。
  • 五月雨登校だったので、毎朝の副校長からの問合わせ電話、または欠席連絡が辛かったです。「今日は学校に来ますか?来ませんか?体調が悪いのは具体的にどこですか?」が3年間続きました。精神的に参りました。
  • ①兄弟2人ともASDのため、どちらかが落ち着いていても、一方が癇癪を起こして、騒ぐ・号泣・手が出る行為が始まってしまうと二人とも暴れだす、というのが毎日のように続いていた時期。
    ②支援級に転籍をするために、体験をしている際、毎日のようにCoから電話がかかってきて、メンタルがかなりキツかった。泣きそうじゃなく泣いた。
  • どこにも心から話せる人がおらず、学校に行けない分を全て1人で背負っていて、自分が休まる時間がなかった。
    学校に行けないことを、受け入れましょうとはいろんなところに書いてあるが、受け入れた後の親や子のケアがどうなるかはどこにも情報がないし、誰もしていなかった。
  • 沢山ありすぎます。
  • 数えきれないほどあります。泣きそうというか、泣いています笑
    学校で癇癪を起こしたときに、校長先生が本人に、「今まで厳しく言われたことなかったんだよねー」と言っていた。発達障害のことを詳しく知るまでは、厳しく接してしまったこともあったし、やっぱり甘やかしていると思われているんだなーと悲しくなり泣きました。
    あとはやっぱり、行くと言っていたのに行けなかったときに残念に思ってしまい、悲しくなり泣いたことがあります。
  • お友達から「だいすき」という手紙が学校の机の中に入っていた。疎まれ嫌われても仕方ない振舞いの息子だが、何故か一部の子には非常に好かれたりもすることがあり、そういう「可愛げ」の部分を伸ばせれば、何とかなるかもと思った。また、コミュニケーション下手な息子が一生懸命作った友達なんだと思い、学校に行かせてやりたいと思った。
  • 1人で留守番が難しく、外出も嫌がる時が増え、外での用事(通院、美容院、人に会うこと、買い物、銀行、娯楽、運動、仕事など、社会活動)ができにくいこと。保育園を休み出したころ、子供の不登園について、ASDについて、無理解な保育園の先生や祖父母、親戚から、「親のせい、甘やかしているから」と言われて、孤立していった時期があったこと。(いるか)
  • どこにも居場所が見つからず、ずっと家で暗い顔をして過ごしていた時期、将来のことが不安でどうしようもない気持ちでした。
  • 私が『外に出さなくちゃ』という考えに縛られていた頃、外に行きたくないと言う息子にイライラし、キツく当たってしまい、自己嫌悪に陥る…という期間がありました。
    遊びに行くきっかけを作る→息子は行きたがらない→私がイライラする。怒ってしまう。の負のループで辛かったです。(kacobe)

運営スタッフより

質問箱まとめ⑨前編は以上です。

エピソードに共感したり、「そんなことがあったんだ」と感じた部分もあったと思います。
過去の記憶をひも解いて整理することで、保護者さん自身の気持ちが癒えていく側面もあるのかなと感じています。

今後も、定期的に質問とまとめを行っていきます。
引き続きご協力よろしくお願いいたします。

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