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質問箱まとめ㊾【不安、メンタル回復、不登校理由、自信など】

保護者さんへの質問箱シリーズ。
ご回答いただいた方、ご協力ありがとうございます。

第49回目では、以下の質問と回答をまとめていきます。

目次

①お子さんが不登校になる時に不安に思ったことはなんですか?(なった後ではなく、なる前に想像していた不安をお聞きしたいです)

  • もう二度と学校に行かなくなって、友達ができなくなる、将来の就労などの選択肢が狭まるという不安はありました
  • 家にいる時間に子供に何をさせれば良いのか全くわからず不安でした。
  • 「将来、どうやってお金を稼いで自分で生きていくんだろう」「大きくなったときに同年代の子と話が合わなくなるんではないか」ということを思ったのを覚えています。
    とにかく、遠い先のことがすごく不安でした。
  • ・仕事ができなくなるかも知れない
    ・将来ひきこもりになるかも知れない
    ・夫との関係が悪くなりそう(不登校を受け入れられない人だと思っていたので)
  • 勉強面、孤立、日々の生活(共働きのため)
  • 私の仕事はどうなるのだろうか、家族全体へどういう影響があるのかが不安でした。あと、子供自身が休養をとる必要性は見通しがついてましたが、その先はどうしたらいいか分からなくて不安でした。
  • 日中の居場所、学習方法への不安です。
  • 代わりに行く場所と合わなくて、行く場所がなくなると、大変だな(私の仕事を続けることが大変だな。)。
  • 私の、育て方のせいかもしれない。
    母親である私が日々に追われイライラしていたことが子供に影響したんだ。
    不登校になった理由もはっきりしないから他の姉弟に説明も難しい。家族がバラバラになるのでは。
    などなど不安は尽きませんでした。
  • (行き渋り出したときに)このまま不登校になったとして、何年生までそれが続くんだろう?ずっと学校行けない子だったらどうしよう、と思いました(今のところ不安的中してます)。主に学習面が不安でした。
  • 「これが不登校のはじまりだったらどうしよう」
  • 一度休んでしまうと、そのままズルズル休み癖がつくのではないかと思った。学習の遅れも心配した。兄弟がいたので、1人が休み出したら、もう1人も行かなくなるのではないかと恐怖しかなかった。仕事をしていたので、仕事のやりくりをどうしようか悩ましかった。
  • 一度休むと二度と学校に復帰できなくなってしまうのではないかという不安。学校は通って当たり前。不登校という事を考えたこともなかったので、想定外のことに思考が追いつきませんでした。
    子どもの精神状態等よりも、人間関係や今後の進路等、自分が思い描いていた未来とかけ離れてしまうという心配をしていたと思います。
  • 将来が終わった。
    自分自身は仕事を休む決断(そうするしかなかった。時間をかけて考える余裕もなかった)をしたので、経済面での不安。
  • 親である私自身も不登校を経験しているので、特に不安はありませんでした。(今思うと甘かった…!)
  • 外の世界との接点がなくなることや普通から外れることが不安でした。父親は、このまま大人になってもずっと引きこもってしまうのではないかとかなり心配していました。
  • 人との関わりをどうやってつくるか
  • 仕事のため家で一人になってしまうこと。お昼ご飯。勉強が遅れてしまうこと。
  • 学校は行かなくていいのか。
    どうしたら登校できるようになるのか、どこに相談していいのかわからない。
    子どもの不安や困りごとがわからない。
    夫婦間の話し合いが平行線でうまくいかない。
    学習をどうしたらいいか。
    親の休みをどう確保するか。
    親族など周囲への説明をどうしたらいいか。
    自分もずっと学校が苦手で人とのコミュニケーションも得意ではなかったので、自分みたいな大人になったらどうしよう(自分を認められていないので)と思った。
  • 勉強が遅れてしまう事。人との接点が激減する事。

②振り返ってみて、お子さんのメンタルが回復した時はどんな時でしたか?出来事や条件などがあれば教えてください。(お子さんが元気になっている方にお聞きします)

  • 家で過ごすなかで、徐々に気持ちに整理をつけて、精神的な傷を回復してきたように感じます。(当時はブランチのマイクラ部がほとんど唯一のお友達との交流でした)
    だんだんとというよりは、ある時、今までできなかったこと(ゴミを自分で捨てる、とかお風呂の蓋を閉める、とか、洗濯物を取り込んでくれるとか)ができるようになりました。キッカケらしきものはなく、エネルギーがだんだん溜まって、閾値を超えたのかな、と思います。
    ただ、北海道の開拓村に行ったことと、劇団に入って褒められることが増えたことは自己肯定感を高めるきっかけになったと思います
  • 不登校中は午前中にネットで見つけた無料プリントをさせていました。できたらプリントに花丸をつけたりシールを貼ったりしていたのですが、これがよかったような気がします。学校で上手くいかず自信をなくしているようだったのでものすごく大袈裟に褒めてご褒美(お菓子)をあげていました。
  • まず、どん底のときに私がペアレントトレーニングを受け、そのときにめちゃくちゃだった親子関係が修復された気がします。
    次に、私が「学校に行かなくてもどうにかなる!」と思えた瞬間があり、開き直りというと言葉はよくないかもしれませんが、現状を受け入れられたときがあり、そこから子どもの癇癪が減り、明るくなっていきました。
    さらに、あるとき私から子どもに「もう学校に行かなくていいよ」と伝えました。そこからますます親子共に調子が良くなっていったように感じます。
  • メンタルが回復したと言い切っていいのかわかりませんが、毎日笑顔で過ごせています。
    まずは、親が子どものつらさ・苦しさに寄り添って不登校を受け入れたこと、無理に学校に行かせようとするのをやめたことが大きいのかなと思います。(迷いや葛藤が完全になくなったわけではありませんが)
    それから、Branchに入って色々なお友達と出会い、大好きなゲームで思う存分遊べるようになったこと。最初は常に親が付き添って、代わりにチャットをしたり話したりしながら活動していましたが、徐々に自分だけで参加するようになってきました。苦痛やプレッシャーから解放されて、ありのままの自分を受け入れてもらえる場所が見つかったことは、大きな変化だったと思います。
  • 学校に行かなくていいことにしたとき
    誰にも怒られなくなったとき
    誉められたとき
  • 自分の辛い気持ちに共感してくれる友達と出会えた後です。
    自分と同じように、不登校の子がたくさんいると知った後です。
    母がダラダラしたり、やるべき家事をしなかったり、忘れ物をしたり、失敗したのを見た後に、だから自分もいいんだ、と思えた後です。
    無理に勉強させようとする夫に対し、私が反論し、無理に勉強させている事を本人に謝れ、と意見した後です。
    喧嘩ができる位、付き合い続ける間柄の子と出会えた後です。
    自分が誰かに褒められたり、役に立った後です。
  • フリースクールでお友達と遊ぶようになってから。
  • 学校を行かないと決めて、代わりに行くフリースクールに行き始めて、アニメーションを作るアプリにハマって、1か月程度ですごく穏やかに元気になりました。毎日精力的にアニメーションや、デジタルお絵かき朝から晩まで次々と作品を作り続けて、アプリを通して他人にコメントするなどして、娘はこんなにクリエイティブで積極的な子だったのかと、びっくりしました。
  • 最近長男はメンタルは少し上がってきてると思います。
    思い当たる事はひとつ、主人が本当に「余計な事を言わなくなった」からです。
    今でも長男次男は、気まずさから主人がいれば別室に行ったり避けている様子があります。
    ですが、少しだけそれが減ったと思います。
    いつも負い目を感じている長男、その様子が最近は家でもリラックスしているように見えます。
    とは言え、まだ波はあり、落ちたら上がったりの繰り返しです。
  • こちらが毎朝学校に連れて行こうとするのをやめたとき。
  • 完全に回復したわけではなさそうですが、親が指示的な言葉かけをやめて、好きなことをさせるようになったら元気になってきました。親が逆戻りすると、子供の状態も逆戻りしますが・・・。
  • 好きなことが見つかったこと。料理をするようになったことがきっかけで、買い物に行けるようになったり、写真を見せて嬉しそうな表情をするようになった。人に振る舞って、喜んでもらうのが好きなので、褒めてもらったり感謝されることで元気になってきた。
    兄弟が落ち着いてくると、ほかの兄弟も落ち着いてくるように感じた。家族全体で少しずつ平穏を取り戻してきた感じ。親の意識が変わったのが、とても大きいと思う。
  • Branch roomに通い始め、メンターさんに沢山認めてもらい、褒めてもらい、徐々に自己肯定感が高まっていきました。
    自分の話を、興味を持って聞いてくれる人がいるという環境も嬉しかったのだと思います。
    オンラインで繋がった年上のお友達が「俺学校行ってないし漢字もわかん!」と元気に言っているのを聞いて「俺もー!」ととても嬉しそうに二人で笑っていました。学校へ行っていないのは自分だけではないことがわかり、安心した様子でした。
  • 日常生活の全てができなくなった。(食事、睡眠、歯磨き、お風呂、外出、好きなことなど)それが半年ほど続いた。その時に効果的だっのかな、、、と思うことは、【身体をさすること】です。マッサージ、スキンシップのようなイメージです。少し元気になってきた時に、私の背中をささってもらった時の気持ちよさ、今でも忘れません。

    回復してまた落ちる、を何度も繰り返すうちに、回復までの時間が短くなってきています。放課後、仲良しのお友達と校庭で会って、ブランコ乗って、鬼ごっこして、おしゃべりして。小学生には当たり前の光景ですが、うちの子がそれを体験できた時。
    【また頑張る種ゲットしたよ。毎日水やりして、大切に育てるから。必要になった時に、芽を出すぜ】とても清々しい顔をしていました。
  • 不登校になったあとは、強い知的好奇心と強い不安感との間を行ったり来たりしているように感じています。数ヶ月単位の大きな波がある中に、小さな揺れが何度も起きて、落ち込んだり活動的になったり。子どもの集団と出くわしたときの反応とか、聴覚の過敏さとか、着られる服や食べられるものの幅とかが元気のバロメーターのように変化することに気づいてからは、そうした様子を見ながら小さな挑戦を繰り返し、自信をつけさせるような対応をしています。
  • 一年位かけて少しずつエネルギーを貯めてきたように感じます。安心する場で過ごして楽しいことをできるだけして段々と元気になりました。Branchに入って好きで繋がるという体験も大きかったです。特にBranch roomに行ってたくさん褒めてもらいながら遊んでもらったこともきっかけになったように思います。
    あとは父親が登校刺激をやめて優しく接するようになったことも影響大でした。
  • 学校に行かなくていいって親子で完全に割り切ったとき
  • 登校を勧めなくなった頃。
  • 好きなもの(ゲームなど)が見つかったとき
    親が親がガマンしていることや辛いと思っていることを辞めたとき。
  • ゆっくり過ごし、好きな事をし、一人の時間を持ち、否定されず、安心して休めた時。

③学校に行きたくない理由や、学校が苦手な理由を本人に聞いたことはありますか?もし言語化できているようであれば、どのような言葉で話していたか教えてください。

  • 嫌なとこを言う友達がいるから、会いたい友達がいないから、先生が自分の意見を聞いてくれないから。
  • 僕だけが怒られる、僕だけ嫌われてる、友達ができない、みんなうるさいと言う話を何度も聞きました。
  • 「好きなときに好きなことができないから嫌だ」と言っていたことがありました。
  • 先生
    学校がいやだ、以外言語化出来ていない
  • 人数が多いのが苦手、聴覚過敏、視覚過敏、待つのが苦手、集団行動が辛い等
  • 学校辞めると決めた直前に本人がまとめて語ってくれたことの要約はこちら。
    ・勉強の時間が長すぎる。 この時間からこの時間までとやる時間、やることが決まっている。
    ・先生がなんでも決めつけて言いすぎる。
    ・予定が急に変わるし、どうなるかを聞いても全然教えてくれない。
    ・他の子と比べられる場面が多い。
    ・人が多い
    ・人によって事情や理由があること、苦手があることを先生たちも知らないで、なんでも怒ったり注意したりする。怒ればいいってもんじゃないのに。
    ・せっかくがんばってかいた字や絵を、「次はもうちょっと丁寧に書けるといいね。」などと言われる。点数を付けられる。
    ・嫌なことを言ってくる子がいる
    ・「遅刻しました。」といいなさいなどと、わざわざ言わされる。(娘には言われないけど、他の下級生の小さい子に言わせていたのを聞いて、嫌な気持ちになった。)
    ・つまらない話を聞く時間が長い。
    ・いつ怒られるか、なんで怒られるかがわからない。
    ・いつ怖い話(娘にとって苦手な内容の話)が出てくるかがわからない。(例えばクラスメイトが都市伝説の話をしたりする、教科書で悲しい場面のお話が出てくるなど。娘にとっては苦手なワードが多すぎる。)
    ※3月31日に、「はぁー、2年生は1年生のお手本になりなさいって言われてたのがやっと終わるよ。お手本っていわれても私をお手本にしたら悪い子バカな子になっちゃうし、でもお手本のことはできないし、お手本にされても…ってずっと思ってた。」娘ちゃんは悪い子なんかじゃないよというと、「しってるよ。っていうか、学校が私の性格に合ってないから学校でお手本になるのは無理ってこと。お手本にされてもね。」といっていたのも印象的でした。娘は学校が悪いというよりは、「学校が私と合っていない」と理解していて、今の生活は「合っている」と思えているようです。

    他に話しているのは
    ・何をしていても先生は注意する 早くても遅くても注意される。どうすれば注意されないのかがわからない(娘は入学時からかなり先生は気を遣って注意しないようにしていた、さらに娘も注意されないようにしていたので、他の子に比べると圧倒的に注意されない子だったはずなんですけど、他の子が注意されるのを見てそういう気持ちになっちゃったり、通常の先生の感覚で「注意」「怒る」という感覚でない声掛けが注意に感じてしまったりするようですね。
    ・自由な時間が少ない。長い休み時間でさえ20分って子どもなのにあり得ない。その20分がなにかでつぶれたら、そのまま短くなってしまう。
  • 長男ははっきりとは言いません。聞いても言えない、自分でもわからないような感じです。3年不登校やってても、まだそのようです。
    次男も同じく言葉にはしません。できないという感じです。
  • 「学校は最悪な場所だから行かない」と兄妹で話しているのを聞きました。
  • クラスに仲のいい友達がいないから。先生の話を聞いていないといけない授業が苦痛だから。
  • 友達にごちゃごちゃ言われる。ルール違反をする友達が許せない。時間割が変更になって、いきなり自習になったり、違う先生がくるのが嫌だ。休み時間に外に出て遊べと言われる。静かに過ごしたくても教室内が騒がしい。「声が小さかったら、もう一回」という謎の儀式が本当に無駄。自分はちゃんとやっているのに、やっていない人と一緒に連帯責任をとらされるのが納得いかない。
    学校は人が多くて騒がしい。人の注目を浴びるのが苦手。ちょっかいを出してくる友達がいる。自分が遊びたい相手とは、うまく遊べない。給食が食べられない。
  • 学校が怖いと言ったことがあります。人の目が怖いのだと思います。
  • 『静かなところへ行きたい』と言ったことが私には最初の言語化だったと思います。それがあってから、 
    【音】についてどんな音がどれくらい嫌なのか聞くと、「昇降口に入ると黒板を爪でひっかいた時のような音がずっとしてる感じ」「トンネルの中の反響は息が苦しくなる」「体育館の中も反響する。先生の声が入ってこない。だけど、集団行動に遅れると怒られるから嫌」「(学童の送迎のためのバス利用)バスの中のおしゃべりの声は、自分を失う。』
    【におい】「給食の時間は地獄だった。保育園の時から我慢していたんだよ。吐きそうになるけど飲み込んでた。(食べること大好きでおかわりもしていたので、全くその苦しみは知りませんでした。)それなのに、一年の時の担任の先生は、時間だから早く飲み込みなさいとか、ゴミ片付けるからそれを早く食べちゃってとか、もう捨てるねと捨てられたりしたから、怖かった。」
    【気持ち】HSC気質があるので、「先生がお友達を怒っているのが嫌だった」「お友達が悪口を言っているのを聞くのが嫌」「お友達がふざけてプロレスごっこやろうと蹴ったりしてきて、痛かったしやりたくなかったけど言えなかった。だんだんエスカレートして、先生のいない所で蹴られたり技かけられて倒されたりして嫌だった。先生に言っても助けてもらえなかった。」
    などなど、一回にではなく、おしゃべりの中だったり、突然話してきたり、何回にも分かれています。
  • 小学校に入ってすぐ不登校になったのですが、子どもたちの様子が通っていた小規模の幼稚園とは違っていて、とても無秩序だったことがショックだったそうです。2年以上も経った最近になって話してくれました。当初は、声や物音の騒々しさや、授業中の無意味な待ち時間や内容の簡単さ、非合理的なルールの多さなどを苦痛と訴えていました。
  • 後になってポロッとたまに教えてくれるときが出てきました。
    ・掃除の時間が嫌だった(手が汚れるなど)
    ・給食でお腹がすごく空いてるのに係の仕事をして用意が終わるまでずっと待っているのが辛い
    ・他のクラスであくびをしただけで怒られている子がいた
    ・算数と国語が嫌だ(スマイルゼミで嫌になったそう)
  • 先生が怒りすぎること、授業の準備など次々やるべきことがありそれについていけないこと、漢字を書くのが苦痛
  • 登校の時、車の音がこわい。
  • ·学校へ行くと、緊張してしまう(落ち着かない)
    ·先生の大きな怒鳴り声が怖い
    ·宿題がつらい
    ·20分位で集中が切れてしまう(45分間の授業がつらい)
    ·先生は上から目線で、強気な態度の指導をするから嫌だ
    ·先生とフラットな関係を築きたいのに、築けない
    ·休み時間は好きだから、昼休みに学校へ行きたいけど、友達から「休み時間だけ来てる」と言われるのが嫌で行けない。
    ·クラスメートが、テスト中カンニングをしている姿を見たり、ふざけた態度を見るととてもイライラする。そのイライラを出してはいけないと思い、我慢するから疲れてしまう。
    ·みんなと自分は違うと感じる事が多いから(不正に対してみんなはイライラしていない。先生の怒鳴り声も気にならなそう。)
    ·学校は疲れるし楽しいと思えない
  • 長男の場合・・・お友だちにイジられたりからかわれたりすること。発表する場面や、プールの授業が嫌だ。「2人グループになって〜」などと突然言われたときに、どうしていいかわからずいつも先生とペアになることが多かったこと。人から注目されたり、臨機応変な対応を求められることが苦手なのかなと感じました。

    次男の場合・・・授業がつまらない。みんなで同じことをする意味がわからない。教えられることが嫌い。ネタバレをされているようで嫌だ。自分で考えて答えを見つけていく方が楽しい。発表会や運動会の出し物などを発表するときに、人前に立つことと、間違えずにうまくできるかのプレッシャーで嫌になってしまう。給食で食べられないものがあるが、自分だけ食べないのは嫌なのでガマンして食べていた。牛乳を飲むとお腹を下してしまうが、それもガマンして飲んでいた。トイレの便座が冷たい。
  • 勉強ばかりで遊ぶ時間がない。休み時間が短い。自由がない。うるさい。嫌な奴がいる。
  • 勉強やテスト、周囲に合わせる事、プレッシャーが苦手。

④お子さんを見ていて「これがきっかけで自信がついたな」という出来事はありますか?あれば、具体的にどんな出来事だったか教えてください。

  • 北海道で、子どもたちで街を作る、という活動をしているところがあり、経験者の友人に紹介されていきました。スタッフの指導のもと、食事の用意なども自分たちで行い、同年代の子達の中で自分の役割もあって楽しかったようです。
    また、本人の希望で劇団に入り、レッスンの中で変わりたい気持ちとか、努力していることを認めてもらったことで、自信がついたと感じます。
  • 家庭教師の先生に週1回来ていただいています。勉強は5分くらいしかせず、残りは遊んでもらっています。何回目かのときに「少しでも勉強できて自分でも嬉しいし、自信になるよ」と言っていました。
    遊園地に行ったときに、行列に並べたり、今まではこわがって乗れなかった乗り物に乗れたりしたときにもうれしそうにしていて、自信がついたかなと感じました。
  • 親が自分の価値観やこだわりを捨てて、子ども自身の考え方・感じ方を尊重するように変わってきたこと。あれこれ口出しして過干渉するのをやめたこと(完全にはやめられていないけど、かなり減ったとは思います…笑)。それと、Branchで遊べるようになったこと。対面でのコミュニケーションに強い不安と苦手意識を持ってしまった子どもにとって、オンラインで交流できるBranchの存在は大きいです。学校や学童の対人関係で失ってしまった自信を、自分らしくいられる場の対人関係で少しずつ取り戻していっている、そんな印象です。
  • 誉められたとき
    大物が釣れたとき
  • フリースクール主催のキャンプに1人で参加したこと
  • 絵を描き始めるようになって、他人にほめてもらったり、注目される機会が増えたのはうれしかったようです。あとは、友達に「娘ちゃんのこと好き」と言ってもらえるのがうれしくて、安心できるようです。
  • 次男に関しては。。
    最近はものすごく癇癪が減って姉兄と仲良く出来るようになりました。
    brunch roomに行った時すごく楽しそうだったので、brunchのおかげでもあります。
    また、brunchに行く電車内では、「たくみの今ハマってる東方プロジェクトの話を沢山話そう!私にもキャラを教えてほしい。」と約束してます。それがたくみも楽しみらしいです。
    また、私がいま起業をしたばかりで、その案を一緒に考えてくれたり、私が不安を漏らしたら励ましてくれたり。そういったコミュニケーションが、ちゃんととれていて私を信頼してくれてるのかなと感じることは増えました。
    ただ自信がついたとまではなく。こうやって少しづつ、3歩歩いて2歩下がっていくのかなと長い目でみています。
  • 親が不在の時、自分でレシピを調べてお菓子を作ることができたとき。
  • 料理を始めた頃は、うまくいかなかったり、疲れているのにやめられずに、よく癇癪を起こしていた。段々と「どのくらいの時間作業をしたら何分休む」といった自分の楽なペース配分を掴んできて、みんなに振る舞うところまで癇癪せずに出来るようになった。「ぼく、今日怒らずにできた」などの発言もあり、自身がついてきたと実感した。
  • オンラインで出会ったゲームの得意なメンターさんと対等に話をしてもらい、「何でそう思ったの?すごいね!」「君は強い」等と、憧れの人に自分の事を認めてもらってからはどんどん自信がつき、大会にも出場するようになりました。
    大会で結果を残した後は、Branch以外の場所へも少し自信をもって出かけられるようになり、学校の先生や担当医とも堂々と話ができるようになりました。
  • うちの子は、自分の意見を言えない子(こう言ったら先生はガッカリするからな、、、こう言った方がいいの分かるけど、、、と相手の気持ちを考えてしまい自分の気持ちを言えない。)と分かってから、選択肢を考えて示して、本人が選ぶことを繰り返してきて、選べたこと、選んだ結果うまくいったことを言語化して伝える、を何年も繰り返してきて、どんな場面でもそれを活用できるようになってきていること。
    例えば先日の大学病院外来受診の時も、【行く、行かない】【今中に入る、まだ入らない】【先生と話す、話さない】【パパと待つ、ママと待つ、1人で待つ】その場面ごとに親が言葉かけして確認する時もありますが、今はそれを自分でやれていることが増えて、これならできる!方法を見つけて行動しています。
  • 小さなことひとつひとつの積み重ねです。不登校になってそれまでできていたことができなくなったので、まずは「できていたこと」を取り戻すところから。例えば、図書館で借りたい本をカウンターに置けるように→手渡しできるように→「お願いします」と声が出せるように→親から離れてひとりで手続き…と言った感じです。先日、家からひとりで出かけて本を借りて帰って来られたときはものすごく成長を感じました。図書館までうちからすぐなのですが。
  • 親戚の結婚式で役目を務める場面があり、みんなの前でできた!役に立てた!ということが自信に繋がった気がしました。YouTubeをやっていて、お友達や大人に見てもらってすごい!と言われることも一つの自信になっているかもしれません。
  • P.Cでゲームが出来るようになったこと
  • 「Brunch」という「居場所」が出来たことです。
    (居場所とは)
    ·安心してありのままの自分で居られる場所
    ·自分の持つ力を信じることが出来る場所
    ·自分のやりたいことが見つかる場所
    ·やりたいと思ったことに挑戦出来る場所
    ·自分の持つ力を社会に生かせる場所
  • 長男・・・フォートナイトが大好きで、ゲムトレパーソナルで憧れの配信者さんに教えてもらっています。その方に教えてもらった方法で続けていたら、上手になっていきとても生き生きしているように見えました。また、ゲムトレ主催のフォートナイとの大会で上位に残れたときは、最後は負けてしまい悔しそうでしたが充実した顔をしてますます意欲的に練習に取り組むようになりました。

    次男・・・親が少しずつガマンをやめると、毎日のように絵を描き始めました。それをリビングの壁に貼っていくと壁いっぱいになりました。その都度、「いいな」と思った点を褒めました。そのうち自らBranchのおひろめ場に投稿するようになりました。そこでもBranchの方々に褒めてもらって、とても自信につながっていると感じています。購入するものがゲームから色鉛筆や色塗り用のペンセットなどに変わっていきました。
  • 一人でお泊まりができた事。母子で近所の友達の家に遊びに行き夕食を食べてゲームして帰る予定が、テレビでやっていた映画を最後まで観たいからと急遽1人でお泊まりをすることになった。夜中にお迎えの連絡がくるかなと思ったが翌日昼前に帰ってきた。帰宅後の第一声が「一人でお泊まりできて僕すごい✨?」だった。その2ヶ月後、遠方の祖父母宅に母親なしで初めて3泊出来た。出発直前までお母さんが夜いないのが不安と言い悩んでいたが、やっぱり行く!と本人が決め父親と出発できた。お友達のお家に勢いで泊まれた経験で自信がついたのかなと感じました。
  • 個別に勉強したり、オンラインで学習できた事。好きな事をして発散したり、それをメンターさんに見てもらい認めてもらえた事。

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