保護者さんへの質問箱シリーズ。
ご回答いただいた方、ご協力ありがとうございます。
第46回目では、以下の質問と回答をまとめていきます。
目次
①ご家族や周り方の働きかけでお子さんが、新しいことに興味を持ったり、新しく好きなものができた経験はありますか?もしあれば、どのような声がけしたか、どのような行動をしたか、など具体的に教えてください。
- ブランチのお友達に誘われてゲームの大会に興味を持ち、出場しました!お友達の「日本大会◯位!世界大会◯位!」というかっこいい称号に憧れたようです。準備が進んでない時に大丈夫なの?と言い過ぎて逆にやる気を萎えさせてしまったこともあるので、大人にしかできない部分はサポート(メンターさんの予約をしてあげる、など)しつつも、取り組み方は本人の自主性にまかせて、大人はゴリ押ししないのが良い塩梅なんだろうな、と思います。
- ポケモンスリープ、ポケモンGO
- こちらの働きかけはほぼ失敗に終わっている気がします。例えばゲームが好きなのでプログラミング学習などにトライしたこともありましたが、ちょっとやってみて「飽きちゃった」と言われました(笑)。
息子は、自分でどんどん好きなものを開拓していくタイプだと思っているので、ちょっとでも興味を示したらしっかりキャッチして一緒にやってみることを大事にしています。ただ、お出かけや旅行は大好き(特に旅先で海や生き物などの自然に触れること)なので、色々なところに連れて行くようには割としているかなぁと思います。 - ゲーム以外で継続しているものはなかなかないのですが、、「この子は興味の幅が狭い子なんだ」と決めつけないようには意識しています。
テレビゲーム以外の手で触れて遊ぶようなもの(カードゲームやボードゲーム)を色々買って遊んでみたり、子どもが好きそうな場所、親自身が好きな場所にも連れて行ってみたり。目が出なくてもいいからとりあえず種をパラパラ撒いてみる、という気持ちです。(結果としてゲームだけが好きなままでも、全然いいと思っています。) - 不登校の中1娘に、家以外の居場所を作ってあげたくてフリースクールを探しました。手先が器用なことと、織物のワークショップに参加したことがあったので、今は機織りが学べるフリースクールに通っています。織っている時はものすごく集中するので、とても疲れるみたいですが、それが楽しいと言っています。
はじめに声かけしたときは、HPやパンフレットの写真を一緒に見ながら話しました。新しく何かに誘うときは写真や動画とセットにしています。また体験などに参加するときは「気が変わってもいいよ。そのときは次どうするか一緒に考えようね」と話しています。やっぱりダメとなると残念な気持ちでいっぱいになりますが、本人の意思を尊重すること、「話してくれてありがとね」と伝えることは忘れないようにしています。 - 新しい事ズバリでは無いのですが。一つのゲームの中で、今まで嫌がっていた分野に挑戦出来るようになりました。それは、他の子と一緒に遊びたい、もっと強くなりたい、と思えたからだと思います。娘は、いつもSwitchのスプラトゥーンをやってます。開始直後の2月は、スプラ3も兄の影響で持ってましたが、スプラ2しかやらず、その中でも、ローラーと呼ばれる武器しか使わず、多くの人がやってる銃の武器は使おうしませんでした。それから2ヶ月位して、他の子と遊びたい気持ちが勝り、多くの人がやってるスプラ3をやるようになりました。5月にとても気の合う子に出会い、その子と一緒だという安心感が、色々挑戦してみようという糸口になったのではと思います。他の武器に挑戦したり、ランク上げの昇格戦に勝てる為に、他の友達の動きを観察したり、YouTubeで学ぶようになりました。私がした役目としては、敢えてスプラを自分はやらず、娘の細かい自慢などをこまめに受け止めて、その良さを言語化した事です。私がやった事が無いので、娘は自分が褒めて欲しい時は自分の凄さを言葉で説明するしかなく、私は、フラットに聞いて、褒める時は、過去の時点の娘と今を比較して褒めるようにしてました。
- 魚を捌く動画が人気らしいとテレビで観て、私が一緒に観てみようと声をかけると、YouTubeで1人でも観るようになった。そこから派生して、肉、料理、お菓子作り、魚釣りなど、興味の幅が広がっていった。branchに入った際は「お試しで。イヤならやめていいんだよ」と声かけした。親も投稿している姿をみて、自分でも投稿したり、他の人と関わるようになった。親も一緒にやってみるのがポイントだったかもしれない。
- 小3息子にパソコンを購入しました。マイクラでコマンドを打ちたいと思うようになり、ローマ字表を見ながら自分でローマ字打ちをするように。わからないところは「どうやって打つの?」と聞いてくるようになりました。
- 動画編集
お気に入りのユーチューバーがいて、動画をアップロードしたいという希望を持っていたので、ネットで見た動画編集の個別指導を紹介した。講師の人柄もよく、1年ほど続けていた。
本人が満足して、卒業した。 - 興味を持ちそうな本を買って置いておくことを続けてきました。
- もともと興味がわりと多方面にわたり、かつ自分で突き詰めてゆくタイプなので、周囲の影響をきっかけに深い沼にはまることもあります。親の本棚の傾向そのままに歴史や文学への関心が高かった時期もあれば、世間の流行にのって「鬼滅の刃」にはまっていたこともありました。最近は、月に1-2回会う小学校の担任の先生の影響で昆虫の世界にどっぷりです。カブトムシやチョウチョ、カイコなど、初めて実際に生体を見たり触れたりしたことや、アリの巣ができていく様を観察させてもらったことで好奇心が刺激されたようです。
②自宅からあまり出ないお子さんで、ご家族や周り方の働きかけででかけることになったことはありますか?もしあれば、どのような声がけしたか、どのような行動をしたか、など具体的に教えてください。働きかけなく外出した場合は、どのような状況だったか教えてください。
- 外出あまりしない方ですが、週一の放課後デイだけは欠かさず行くようになりました。兄妹で移動支援というのを使ってバスで行っています。移動支援の方のお迎えが来てしまうので半ば強制になっているのと、バスに乗っていくことと好きなものを昼食用に買っていいことにしていてそこが楽しみになっているのかなと思います。
- ポケモンGOのアプリを子供達のスマホに入れた
- 今現在は外出がスムーズになりましたが、不登校になってからしばらくは困難でした。
なぜか急に猫に興味を示し始めたときは「猫カフェに行こう」とか、当時ハマっていた「ワンピースのショップに行こう」と少し遠出をしたり楽しみや目的があると進んで外出をしていました。あとはお昼を食べに大好きなマックに行こうとか食べ物で連れ出してついでに公園に行って体を動かしたりしていました。 - 今年の1月ですが、私の姉家族が泊まりに来てくれた時に(姉、スペイン人兄、姪っ子14歳)
今まで外出拒否だった息子が、【犬の散歩】と【近所の公園】【片道1:30のドライブ】【広島⇔新大阪旅行、USJ】に行けました。
きっかけが何か私もわからないのですが
歳の近い姪っ子や姉が、息子の好きなゲーム(なかなか一緒にやってくれる人がいないやつ)を一緒にやってくれたこと??
ドライブ先が自分の行ったことのあるイルカに会える場所で、お気に入りのところを姉家族に紹介したかった、みんなでお出かけが楽しかったこと??(犬も一緒)
私の姉ということで、久しぶりの再会でもすぐに打ち解けて安心できる人だと認識したからかな?
外出の予定は、前日に伝えました、みんなで盛り上がって、「明日行っちゃう?!」みたいなノリで誘ったら、「わーい!行く行く!」という感じでした。
あと、ブランチのお友達のお家へ行くのは、ノリノリです。
今回の夏の帰省で、関東在住のbranchお友達のお家へ訪問しましたが、待ち遠しく何日も前から、いつ行くのか聞かれました。(初対面なのに)
幼少期のお友達で、年に1、2回遊びに来てくれるお友達がいるのですが、その子の家へ遊びに行くのは拒否でした。 - 今まで行けていた場所(遊びや買い物)に、まったく行かなくなった時期がありました。
放デイの療育だけは行けていたので、「今は外に出るだけで十分なので」と説明して、あまり負荷をかけないようにしてもらいました。
私自身も10代の頃に外出が怖くなった経験があるので、家でのんびり過ごさせて見守る気持ちでいました。
たまに、本人が好きそうな映画やお出掛けスポットの情報を(軽い感じで)ポツポツと伝えていたら、「行ってみる」と言うことが少しずつ出てきました。「やっぱり行かない」も勿論ありますが、責めないようにしています。 - 娘は不登校になってから、自宅周辺や学区内を出歩くことを避けるようになりました。知り合いに会って話しかけられたら困るからだそうです。ならば車でワープすればいいかも?と思い誘うと、遠くの公園へポケモンGOをしに行ったり、映画を見に行ったりすることができました。今は近所のコンビニまでなら家から歩いて行けるようになりました。
- 4月に出会ったお友達と、5月に入って大きな喧嘩をして、その対応のタイミングで、相手の保護者さんともビデオ通話をする機会がありました。その後は、毎日その子と遊ぶようになり、お互いの特性も相まって、”相思相愛”の状況になりました。6月半ばに、その子に実際に会いたい素振りをしていたので、東京から岡山まで、電車に乗らなきゃ行けないけど行くか、と聞くと、一つ返事でした。その上で相手の親子さんにビデオ通話で提案した所、そちらも一つ返事で。子ども同士だけでも、会いたい、という会話になっていたようです。2月にBranch に入会し、色々なお子さんと接した上で、自分と気が合う子に巡り会えたのが大きいと思ってます。
- 働きかけで出かけられることは滅多にない。直前になって「行きたくない」「イヤだ」となった時は、基本的にやめにしている。が、どうしても外せない用事の時には「行きたくないことはわかった。行きたくないからやめるのか、行きたくないけどやっぱり行くのか、決まったら教えて」と少し時間をおくと、「やっぱ行く」となることもある。働きかけなく外出できるのは、本人が楽しみにしていた用事の時くらい。
- 今年の春、隣の家に住むおばあちゃん(血縁関係はなし)がお花見に誘ってくださいました。
元々子どももなついていて、家にいれてくれたり、庭を見せてくれたりしていました。
おばあちゃんは不登校のことも知っています。
たまたま子どもと二人でおばあちゃんの家にお邪魔していたとき、「そうだ、〇〇の桜が綺麗なのよ、今からタクシー呼んでお花見行きましょうよ!」と誘ってくれました。
その頃子どもは家から出たがらないというのが半年くらい続いていた時期で、私は内心「誘ってくれて嬉しいけど難しいだろうな……」と思っていました。
実際子どもの表情もあまり乗り気ではなさそうでした。
しかし、おばあちゃんは諦めず、でも優しく誘い続けてくれて、結果、タクシーに乗って桜を見に行くことができました!
滞在時間は30分ほどでしたが、そのことをきっかけにして外出ができるようになりました。
家族以外の人の働きかけがよかったのか、おばあちゃんも誰かとお花見に行きたいという気持ちが子どもに通じたのか、軽いノリがよかったのか、タクシーという楽な移動手段がよかったのか……
考えてもわからず、ただただありがたかったです。 - 「◆◆に行こう」よりは「◆◆に行って、〇〇食べよう」などゴールを「その場所に行くこと」ではなく体験で伝えるとスッと動いてくれる気がします。
- 不登校になってほとんど外出しない時期が1年ほど続いたころ、たまたまテレビで見た縄文の火焔型土器が気になったそうで、「実物を見てみたい」と博物館の特別展に行くため外に出たことがありました。それまで土器に興味を示したことなどなかったので驚きましたが、好奇心が行動の原動力になる子だということがよくわかった一件でした。
その日は、結局ランチを食べに寄った途中の駅で引き返し、目的地には辿り着かなかったのですが、この件をきっかけに外出そのものを促すというよりも、本人の好奇心を搔き立てるような働きかけを意識するようになりました。
③お子さんが学校行き渋りや不登校になった際、相談先はどのように見つけましたか?オフライン/オンラインともに、できるだけ具体的に教えてください(サービス名称、どの窓口で教えてもらったか、検索ワード、など)
- 不登校初期はTwitterで不登校や発達障害の親御さんをたくさんフォローして情報を集めていました。一時期通った医療系の療育室と、今も利用し続けてる訪問リハビリ(作業療法士、理学療法士、言語聴覚士などに訪問してもらえます)のことはTwitterのタイムラインで知りました。訪問リハビリは外出したがらなかったり人見知りのお子さんにおすすめです。子供にリハビリ実施しているサービスステーションは少ないです、うちは片っ端から電話しても見つからなかったのですが、放課後デイの利用でお世話になってる相談支援の方に話をして見つけてもらうことができました。
また別に一時期通っていたLITALICOジュニアは市の教育センターの面談で勧められました。 - 友人の紹介でブランチを知った
- ほぼオフラインです。教育センターが全ての要でした(学校からもらっていたプリントに相談先が載っていたことを思い出してすぐに電話しました)。教育センターの先生と相談を重ねていくうちに、病院を紹介してもらったり、不登校の子の居場所作りをしているしている団体などに少しずつ繋がっていきました。
Branchは「発達障害 不登校」などの検索ワードで調べていて記事に辿り着いて繋がりました。 - 付き添い時の癇癪が強くなっていた頃に支援級の担任からスクールカウンセラーのことを聞き、一度だけ面談しました。結局その後完全不登校になり、特にやり取りもないのでそれきりです。
公的な相談機関や福祉、カウンセリングなど興味はあるものの、今は特に相談先を持っていません。 - 息子の時は就学前に通っていたSST(市の発達教育支援センター)の担当者さんに相談し、適応指導教室のことを教えてもらいました。あと通級は通えていたので、送り迎えの時に先生に相談してました。
娘の時は息子の通級の先生に相談し、「スクールカウンセラーとつながるのもいいかも」とアドバイスをもらいました。その方とは途中オンラインに切り替えましたが、小学校を卒業するまで週1回のカウンセリングを続けることができました。最後のカウンセリングの日は何年ぶりかで学校に行き、「今までありがとうございました」と挨拶することもできました。 - 最初、娘の「死にたい」というメンタル不調から始まりました。学校のスクールカウンセラーは既にNGな状況だったので、校長に相談した所、自治体の「教育相談室」を案内され、そこから、児童相談所&子ども家庭支援センターと繋がり、そことの面談の中で、自治体の適応指導教室を知ったり、友人に相談した所から、川崎の子供夢パークや星楂ジュニアスクールを知りました。不登校というワードは、かなり前から元中学教諭の職場同僚から聞いていて誰にでも起こりうるし理由が不明な場合も多いとよく聞いてました。だから、我が子の為に、不登校に関するweb記事を以前から目にしていました。たまたま、LINEの東洋経済WEBの通知で、オオタトシマサさんの記事に当たり、自分の勤めていたリクルートグループの人だという事も信用出来、大学時代の友人がやっているNPOカタリバの事や、友人が勤める星楂学園の事が記載されていたのもあって書籍を購入。そこに記載ある所を、片っ端から当たっていきました。その中でBranch に辿り着きました。
- まずはスクールカウンセラーに相談、先生から近くで発達相談をしてる病院があるからと教えていただき病院へ発達相談→3ヶ月後WISCという流れでした。あとは、ネットでいろんなデイサービスを検索して良さそうなところを見学。
デイサービスの先生から特別支援学校の教育相談を教えていただきました。
ホームエデュケーションのお話会にも参加して、
同じ不登校の子を持つ親御さんとお話をしたり、、
あとは、ネットで「不登校・行き渋り・癇癪・発達障害・発達グレーゾーン・ホームスクール・ホームエデュケーション」などで検索を色々したかなと思います。
(ちょっと2年前なので記憶が遠いですが、、) - 以前の担任の先生から教育センターを紹介された。
同時にネットで調べて放課後等デイサービスに行った。
近くの児童精神科で働いていた友人に相談したところ、療育センターの面談に繋げてくれ、診察に通えるようになった。
最も頼りになったのは、児童相談所で、相談員と心理担当の方が学校に訪問してくれたり、色々なサービスを横断的に提案してくれた。児相に行ったきっかけは、癇癪を起こして家を飛び出したことがあり、警察に捜索願いを出したことがきっかけで、警察から連絡が行ったこと。 - ケアマネで民生委員もやっている義母に相談したら、まずは行政を頼るように言われ、区のHPから相談先を探しました。コロナ禍で受け付け日時や窓口が限られていたこともあり、何カ所も電話をかけなければなりませんでしたが、最終的に心理士さんや言語聴覚士さんのいる教育相談室へと繋がり、今もお世話になっています。
④小学校で支援級を勧められたことのある方に質問です。どのような経緯で勧められたか詳細に教えてください。
- 就学時は区の学務課に相談や面談して(区に情緒学級がなく、知的障害学級しかなかったこともあり)通常級を勧められました。入学後すぐに不登校になり、最初は通級を勧められて通い、それでも登校できなかったので、学校と相談する中で希望すれば支援の手厚い支援級にうつることもできる、と言われて転籍しました。転籍当初は付き添いしたりしなかったりで短時間通えた時期もありました。
- 保育園の頃に診断は出ており、就学相談を経て一般級に入学しましたが、集団行動の苦手さや自傷他害などのトラブルから時折電話をもらうようになりました。授業も最初のうちは頑張っていたものの、1日の大半を机に突っ伏して過ごすようになっていたようです。教室に入れず昇降口に座っていたり、校門にいたこともありました。(学童も拒否することが増えてきていました。)
秋頃に担任の先生から「少人数の、落ち着いて過ごせる環境の方があっているかも知れません」と話がありました。それで「やっぱりそうですよね」とこちらから転籍を希望しました。
元々、5月の面談で「支援級に入れた方が良いか迷っていた」と話してはいたので、あちらとしても言い出しやすかったのではと思います。 - 不登校前、友達とのトラブルがものすごく増えており、友達の言動をネガティブに受け止める傾向が強くなっていた。その状況を踏まえて、不登校になってから、学年が上がると1クラスあたりの人数が増えるため、大人数の教室では刺激が多くて本人がつらいかもしれないということで「支援級の方がいいのかも」と言われたことがある。保護者側から、先生はどう思いますか?と尋ねたので回答してくれたが、基本的に先生や学校側から「支援級の方がいい」といった発言はしないように注意している(言ってはいけないのかな?)ように感じた。あくまで決めるのはご家庭での判断です、ということなのだと思います。
- 特別支援学校の教育相談で「集団が難しい」ことを伝えると、「それなら支援級はどうですか?」と勧められましたが小学校からは提案されたことはありません。ブランチの投稿を見る限り、支援級に入るのはハードルが高そうだなと感じたので考えていませんでした。
- 幼稚園の頃にかかった病院で支援級を勧められました。サポートはあった方がいいと言われました。
⑤ ④の続きです。支援級勧められた際、保護者さんはどのようなことを考えましたか?その時の感情、将来のことなど、なんでも良いのでざっくばらんに教えてください。
- 不登校からの支援級転籍でした。通えるようになったとしても支援級では小学校卒業までに小4程度の学力までしか到達しないのが実際のところ、と言われたのが一番堪えました。それでも学校という場に通わせた方がいいのか、通わせずにホームスクールした方がいいのか、悩んだように記憶してます。結局は転籍しても大して通うようにはならず、ホームスクールで学習面をカバーしながらも卒業時までの学力は小4程度だったので悩む必要なかったな、と振り返ると思いますが、それでも当時の葛藤を思い出すと胸がぎゅうっとなります。
- そうだよね、これで移れる、よかった!と思いました。
入学前の就学相談を受けた時点から、私は支援級希望、夫は一般級希望で意見が分かれていたので…
子どものことは、この先の進路がどうなるんだろうという不安もありましたが、「やっと適切な配慮を受けられる環境に置いてあげられるんだ」という安心感の方が大きかったように思います。 - 先生の目が行き届いて、丁寧な関わりの中でコミュニケーションや社会性を学んでいけるなら支援級の方がいいのかな、と思ったが、結局、担任やクラスメイトとの相性によるのかも。運でしかない、と思った。その選択を自分がしなければならないことがとても負担だったし、子供の人生を左右するようで怖かった。自分自身が大学卒、一般企業に就職という流れしか知らなかったので余計に怖かったかも。支援級に転籍したところで、学校に行くようになるかどうかはわからない、というのも悩ましかった(結局行っていない)。どちらにするか決定しなければいけない「期限」があるのも苦しかった。また、自分の子が発達障害なのか…と受容できたりできなかったりを繰り返す時期だったので、まさか自分の人生に支援級だ通常級だで悩むことがあるなんて、という気持ちもあった。最終的に支援級にしたが、不登校のままなら、わざわざ転籍しなくても通常級の方が将来的な選択肢が広い、一旦支援級になったら通常級への復帰はハードルが高いなど、転籍を決めた後にいろいろなところでアドバイスを受けて、決断が正しかったのか…と落ち込んだ。今では、通常級と支援級どちらにも行ける環境を整えたんだ、本人が望む場所に復帰すればいいんだ、と思っている。
- 全く考えもしなかったので、とりあえず小学校に連絡して見学まではしました。
ただ、本人に話しても全く興味を持ってくれず。。
1対1だとよく話すタイプで結局は人数が少し減っても「学校」という
場所が苦手なら難しいのかなぁと思い、進んでいません。 - 聞いた時には抵抗がありましたが、支援が必要なくなれば普通学級に移ることもあると言われ、そうなることを期待していました。
(実際には支援が欠かせない状況だと分かり、また支援級での指導やサポートが良かったので、ずっと支援級でお世話になることになりました。)
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