
「親子で価値観違うなぁ〜」って思ったことを募集します。 また、それに対して何か行動起こしたようなこともあれば、教えて頂ければ。 僕がよく思うのは、Discordなどネットサービスつけっぱなしにして、友だちと話しっぱ、つなぎっぱなのは、僕ら世代と今の子たちすごい違うなぁとしょっちゅう思っています。 こういうテクノロジーの使い方でもいいですし、気持ち的なものでもいいですし「うちの子と私って全然違うな」って感じることを教えてくれたら嬉しいです。 記事か動画にしてみようかと。



求めていた回答とずれていたらすいません。
○「電車の券売機で切符を買うこと」「公衆電話からテレホンカードを使って電話をかけること」「有料道路でETCゲートを通らず有人ゲートで現金で決済」は特別な事の様で、敢えてせがまれてやった事があります。(息子は鉄道ファンなので切符は日常的に今もよく、わざわざ券売機を使い、改札から出ないで駅員さんに無効印もらって切符を持ち帰りますが)
○チャージされたPASMOさえあれば、乗り物にも乗れるし食べ物や飲み物も手に入るし、現金要らずで随分と自由にやります
○家族旅行する際、その日だけはゲームの大事なイベントがあり、どうしてもWi-Fiがないと困る!!と、店舗を調べ上げ、ポケットWi-Fiのレンタル契約をしに行きました。結果的に家族皆便利だったのですが
時代だなーと思いました。 便利な時代になりましたが、アナログな手法も新鮮な様で、敢えて楽しんでいます。
また何かないか、考えてみます。



息子は人が居ない所を怖がります。
以前帰省で新幹線に乗った時の事、コロナ禍で空いていた為車両には私と息子二人しか居ませんでした。 私は「貸切だ!ラッキー!写真撮ろう!広々一人づつ座ろう!」と大はしゃぎだったのですが、
息子は「誰も居ないと怖い!ママちゃんと席に座って!隣に座って!誰か居る車両に行きたいよ。」とずっと半泣き状態。 映画館も平日のガラガラ状態より、適度に人がいる方が良いらしいです。 (かと言って混雑も苦手なのですが…)
親子でもこうも違うのかと驚きました。 そして混雑が苦手なので空いている時間帯で…と考えていましたが、空き過ぎていてもダメなんだと学びました



昭和(私)と平成生まれ&令和を生きる&特性ありな人(息子)ですからねーw 価値観違うことは多々あるなぁ。
計算もSiriに聞いたり、英文もGoogle翻訳で画面かざして読んだり、分からないことはYouTube (動画の方が理解しやすい)
Discord繋いでのコミュニケーションも、オンラインフリースクールですよね。 私の時代にはなかったな。
あとは、最近言われてハッとしたのが、 『嫌なことは嫌と言わないと本当の自分は見つけられないよ』です。
先生にもハラハラするような事をはっきり言ってしまう息子です。
多様性、個性を尊重、人それぞれの考え方を尊重…そんなところは息子から学ばせてもらったような気がします。



ADHD/ASD1.0の夫に、ADHD/ASD2.0の息子との価値観の違いについて聞いてみました。
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①リアルで会う・オンラインで会うの主従関係がない → リアルを補うオンライン(バーチャル)じゃない
→ マニュアル車かオートマかくらいの違いしかない
②僕らは紙に2次元で描いてから次元をあげてくけど、彼らは最初から3次元のオブジェクトモデルを頭の中に持ってると感じる。
③あとは個人の特性(俺と玄都の性格の違い)の気がするので、親子の価値観の違いではないかも。
④価値観が違って困ったこともないし、合わせようと思ったこともないので、特に起こした行動はない。 ーーーー だそうです。
やっぱしんどいのは、あたしだけ(笑)



これ、面白いテーマだなと思い、第2弾です。 中里さんご存じの通り、我が家は時に〔わたし〕v.s.〔夫&息子〕という構造になります。 7、8年前は、わたしがカサンドラに類似したシビアな状態になり、メンタルクリニックに駆け込んだことも
昨日は似た特性を持つ夫から見た、新世代の息子について書きましたが、今日はわたしから見た彼らとの価値観の違いで、いちばん大きいところについて。
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価値観の違い: 彼らは、自分の言動が周りに対して与える影響に、比較的無関心
説明:
自分がこんなこと言ったりしたりしたら相手がどう困るか? について、彼らも想像はしているし、二人とも優しいのだけれど、「でもそれは相手が何とかすることでオレには関係ないや。困ったら言ってくるでしょ」というスタンス(わたしは、言われる前に気を遣ってしまいます)。
my action:
①困ること・我慢できないことがあったら「わたしは困る・我慢できないから、○○をやってほしい」と明示的に伝える。
②「ふつう~なんだから、やって」とか「~べきだから、やって」と一般化した理由づけは、彼らの姿勢を極度に硬化させるので、絶対に避ける。
③「このままだと、わたしがイヤで悲しいから、やって」とか「やってくれると、わたしは嬉しい」とか、シンプルに「わたしの感情」で伝えると、だいたい希望が通る。
④ 希望が通らなそうなときは、泣くとかわめきまくるとかで訴える。こちらが格好を付けていたら、伝わらない。
⑤やってくれたときには、喜びと感謝をむちゃくちゃ伝える。
⑥やってくれるのは「そのとき1回」のこと多し。わたしが泣き喚いて訴えたからと言って、以降ずっと気にかけてくれるなんてことはないので、必要の都度訴える。
→「前も言ったのに、覚えてない・察してくれないなんて酷い」とか言ってたら、彼らとは生きていけない。
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一言で言うと、文化の違う外国人と暮らしている感じです。 わたしも随分、強くなりましたー



違い、沢山ありますよね。オンライン定着暮らし、Siriの音声入力活用、デジタル生活以外でふと思い出したことは、
幼稚園の運動会のダンス(ミッキーマウスの音楽)の時、腕組みして立ったまま全く踊らなかったこと。後で理由を聞くと「ダサすぎる」と。当時息子はマイケル・ジャクソンの動画ばかり観ていたので「そうだよねー」と返しておきました
自分の好きではないことは絶対しない、周りに合わせない姿は、みんなでダンス=楽しい!が当たり前だった私とは全く違います。
息子と同じように踊らなかった子は実はもう1人いて、今でも幼稚園時代の唯一の友達として交流が続いています(オンライン上のゲーム仲間として)
○○さんも仰るように文化の違う外国人、本田先生曰く少数派の種族、と暮らしていると思うと気持ちが楽な時があります。
この国の文化に息子(100%日本人ですが)の中で大波小波を感じながら徐々にどうしたら気楽に生きていけるか術を身につけていってもらいたいなぁと思うようになりました



価値観が違う、というより思考のパターンが違うのかも、とちょうど気づいたエピソードがあったところだったので、回答します。
間もなく受験の娘に、個別指導してもらっている先生から手作りの御守りをもらったのですが、私は感激して(これまでの苦労もあいまって)思わず「先生ありがとうございます〜」と泣いてしまいました。
その帰り道、娘から「ママって感動したり嬉しい時に良く泣くよね。私はそれはないから不思議」と言われました。
「嬉しいし、ありがとうって気持ちはもちろんあるけど、だからと言って涙はでない。私が泣くのは〝悔しい時や〟〝理不尽だったり納得いかなくて腹が立つ時〟だわ」と。
これまでのことを思い返しても確かにそうだったので、親子でも思考や感情は全く違うなと思いました
○○さんと同じくカサンドラに悩まされる妻その2がお伝えしました
追記です
↑このことから
私たちが感動したり嬉しくて涙するのは、きっと、〝頑張ったんだろうな〟とか〝この人は自分のことを想ってくれたんだろうな〟とか、他人の状況や感情に想いを馳せるからだと思うんですが、
うちの娘はあくまでも自分の心が動かされるのは、ほぼ自分の状況や感情なんだろうなと。
だから、◯◯さんが私のためにこうしてくれた、とか、きっとこんな風に思ってくれている、とかを察して行動するという考えがないのかと
やっぱり「なんで察してくれないの?」を期待してたら生きていけませんね(笑)



価値観もそれ以外も違う所ところ色々ありすぎますが、ビックカメラとかで、 予算1000円でおもちゃを買ってあげるよ!って言った場合に、1000円のものを2つくらい持ってどっちにしよう?となかなか選べきれず… 私が帰りたくなって、特別に2つ買って良いよ!と言うと、両方棚に戻して2,000円予算で、一から選び直しが始まります。
“そういう意味でなくて、帰りたいのだ”と説明しても、2000円の物を急いで選ぶから!とパニくりながら右往左往します。
この流れ、
私の中に無い発想過ぎて
忘れた頃に同じ失敗を繰り返し経験してます
あと、何か作る時に自分の力量度外視でプロ並みのイメージを持つようです。しかもディテールに拘ります。
例えば、scratchでゲーム作る場合、他のソフトでキャラクターデザインから始めて……なかなかプログラミングに入れず、結局疲れきって&思ったイメージと違うし才能がないと凹み始めて、完成しない事が多いです。
私はクオリティより完成するか否かで、手抜きする方なのでw息子のその拘りがある意味羨ましく感じています。



遅くなってしまいましたが、ネットで検索する時に、まずYouTubeなのは面白いなあと思っています(LDなのもあると思うのですが)
私はYouTubeだとたどり着きたい答えがすぐ出てこないので、文字の記事の方が合っているようです。 あと新しい音楽もYouTubeで見つけてくることが多くて、私の時代はラジオとかテレビだったなーと違いを感じています



初めて投稿(返信)します。時差がありすいません
やはり令和時代に生きる子は私たち親とは何か違うとひしひし感じながら子育てしてますし、子供に教えられています。(今の子たちは生まれた時から携帯やPCが普通にある環境なので、きっと生まれた時からそういうものを取り込める脳みそで生まれてきているんだな、、と勝手に思っていました笑。)
今は苦手なこと(例えば英語、スポーツなど)もバーチャルで擬似体験できたり、英語翻訳してくれたり。昭和、平成初期とも格段に違う気がします。 なので価値観が違うのは本当に当然だなと思って過ごしていました。
昔ながらのもの(遊びならコマ回しとか、牛乳キャップの蓋でメンコとか、定規合戦とか、日常生活なら水道の蛇口の形をひねるだけで手先を使っていたり、、)の良さも認識しつつ、それも必要な時には子供に伝えたり、やってみる機会も作りながら、、でもベースは今の時代だからこその文明(Google翻訳、Siri、スイッチ、バーチャル空間、オンライン)を理解しながら積極的に取り入れて、昔と今の良いとこの部分どりで親子が楽しく前向きに生きていけたら良いなと願うばかりです。
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